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大津地方裁判所 昭和50年(わ)327号 判決

目次

被告人らの表示

主文・・・・・・1058

理由・・・・・・1058

(罪となるべき事実)・・・・・・1058

第一 背任(被告人両名)・・・・・・1059

一 真野谷口の土地関係・・・・・・1059

二 竜王岡屋の土地関係・・・・・・1060

三 桐生の土地関係・・・・・・1061

四 西萱尾の土地関係・・・・・・1062

第二 収賄(被告人井上)・・・・・・1063

第三 上田建設法人税法等違反(被告人上田)・・・・・・1063

第四 大和不動産法人税法違反(被告人上田)・・・・・・1064

(証拠の標目)・・・・・・1065

(争点に対する判断)・・・・・・1065

判示第一の一ないし四の背任について・・・・・・1065

一 県知事部局との間の手続義務違反の有無について・・・・・・1065

1 公拡法等所定の手続内容・・・・・・1084

2 各背任における手続の不履行状況・・・・・・1088

二 各土地の取得価格について・・・・・・1093

三 各土地の開発適否について・・・・・・1101

四 桐生、西萱尾各土地取得の際の公社の資金状況・・・・・・1104

五 被告人上田の関与態様・・・・・・1108

六 被告人井上らの任務違背についての被告人上田の認識・・・・・・1114

1 正常な取引価格に従うべき任務の違背について・・・・・・1114

2 桐生、西萱尾各土地取得時の公社の資金状況について・・・・・・1117

3 被告人井上らが知事部局との間で執るべき手続の不履行について・・・・・・1118

判示第二の収賄について・・・・・・1119

一 現金の授受について・・・・・・1119

二 公訴棄却の申立について・・・・・・1124

判示第三、第四の法人税法、会社臨時特別税法各違反について・・・・・・1126

一 上田建設株式会社の真野谷口土地の売上高計上時期について・・・・・・1126

二 上田建設株式会社の南庄家田土地の売上高計上時期について・・・・・・1129

三 上田建設株式会社の南庄家田土地の製品売上原価について・・・・・・1130

四 上田建設株式会社の受取利息について・・・・・・1134

五 上田建設株式会社の向日町土地の売上高及び製品売上原価、固定資産売却益並びに買換資産繰入損について・・・・・・1135

六 上田建設株式会社の債務免除益について・・・・・・1141

七 大和不動産株式会社の大塚土地の売上原価について・・・・・・1143

八 大和不動産株式会社の右京区土地の売上高及び売上原価について・・・・・・1145

九 上田建設株式会社及び大和不動産株式会社の価格変動準備金繰入並びに上田建設株式会社の価格変動準備金戻入について・・・・・・1147

一〇 公訴棄却の申立について・・・・・・1149

(確定裁判)・・・・・・1153

(法令の適用)・・・・・・1153

(量刑事情)・・・・・・1154

(別紙)

1 修正損益計算書(一枚)・・・・・・1157

2 税額計算書(二枚)・・・・・・1158

土地譲渡税額の計算(二枚)・・・・・・1160

3 修正損益計算書(一枚)・・・・・・1161

4 税額計算書(一枚)・・・・・・1162

土地譲渡税額の計算(一枚)・・・・・・1163

5 南庄家田土地経費明細(一枚)・・・・・・1164

(別表)

訴訟費用負担表第一、第二、第三・・・・・・1165

本籍

大津市平津二丁目一七九番地

住居

同市平津二丁目七番二二号

行政書士

井上良平

大正五年七月一六日生

本籍

京都市中京区聚楽廻東町二一番地

住居

同市左京区岡崎法勝寺町六九番地

無職

上田茂男

大正一三年三月四日生

右井上良平に対する背任、収賄、右上田茂男に対する背任、法人税法違反、会社臨時特別税法違反各被告事件について、当裁判所は、検察官落合俊和出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人両名をそれぞれ懲役三年に処する。

被告人両名に対し、この裁判確定の日から五年間それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人井上良平から金三〇〇万円を追徴する。

訴訟費用は別表訴訟費用負担表第一ないし第三のとおり各被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人井上良平は、公共用地、公用地等の取得、管理、処分等を行うことを目的とする滋賀県土地開発公社(以下「公社」という。)の副理事長として、公社の業務を掌理するとともに、公社を代表しその業務を総理する理事長を補佐する職務に従事していた者、被告人上田茂男は、いずれも滋賀県長浜市分木町四番三一号に本店を置き、不動産の売買、あっ旋等の事業を営むことを目的とする上田建設株式会社(資本金三〇〇〇万円)及び大和不動産株式会社(資本金一〇〇〇万円)の代表取締役として右各会社の業務を統轄掌理し、右と同様の事業を営むことを目的とする伊吹建設株式会社を実質的に経営していた者であるが、

第一  被告人井上及び公社理事長河内義明は、前記職務を遂行するにあたり、公社の健全な財政運営を損わないよう誠実にその業務を遂行すべきはもとより、公社が滋賀県に売り渡す目的で土地を取得するいわゆる公共用地先行取得事業を行う場合には、取得の目的、取得に要する見込費用及び同県が当該土地を買い取る予定年度等を記載した同県知事名義の指示書によって同県から右各事項の指示を受け、また公社が住宅用地、工業用地を取得、造成及び処分するいわゆる内陸地開発事業を行う場合には、当該事業年度の開始前に、当該事業の内容を記載した事業計画書によって同県知事から当該事業の承認を受け、右承認を受けたとはいえない土地を事業年度の途中で取得することになった場合には、右土地に係る事業の企画立案にあたる同県の所管課と右事業の具体的な範囲等の基本的な事項について協議したうえ、事業計画の変更手続をして同県知事の承認を受けるという同県の知事部局との間の各手続を執り、さらに、近傍類地の取引価格等を調査するなどして算定された正常な取引価格に従って(右指示を受けた場合を除いては、公社用地課長に右調査及び算定もさせ)、公社に土地を取得させるべき任務を有していたところ、

一  被告人上田から、大津市真野谷口町字下長谷四四番所在の山林外一一一筆の土地(面積合計約二四万八一六四・七四平方メートル。以下「真野谷口の土地」という。)を不当に高い三・三平方メートル当り五万六〇〇〇円で公社が飛島建設株式会社から買い取るように要求されてこれを了承し、ここに被告人井上及び同上田は、前記河内義明及び同県知事野崎欣一郎と共謀のうえ、上田建設株式会社及び飛島建設株式会社の利益を図る目的で、河内及び被告人井上において右各任務に背き、真野谷口の土地の取得について、公社の昭和四八年度(昭和四八年四月一日から昭和四九年三月三一日まで)事業計画書によって同県知事からその承認を受けていなかったにもかかわらず、同県から右指示を受ける手続も右協議及び事業計画変更の手続も執らず、公社用地課長に右土地の正常な取引価格を把握するための右調査及び算定をさせることもなく、三・三平方メートル当り五万六〇〇〇円という価格が不当に高いことを認識しながら、昭和四八年一一月二二日ころ、大津市京町四丁目三番三八号所在の公社事務所において、公社が右土地を右価格で取得する旨の議案を作成し、これを書面による公社の持ち回り理事会にかけてその議決を得たうえ、同月二四日、東京都千代田区九段南二丁目三番二八号所在の飛島建設株式会社本店において、公社が同会社から右土地を右価格に従って四三億一二八四万円で取得する旨の売買契約を締結し、公社の同額の債務を負担させ、よって、公社に対し、右土地の正常な取引価格である約一七億四〇〇〇万円(三・三平方メートル当り二万三一〇〇円)との差額約二五億七二八四万円相当の損害を加え

二  被告人上田から、滋賀県蒲生郡竜王町大字岡屋字谷川二九三二番一所在の山林外一四五筆の土地(面積合計約二三万三三二一・九七平方メートル。以下「竜王岡屋の土地」という。)を不当に高い三・三平方メートル当り二万五〇〇〇円で公社が交徳興業株式会社から買い取るように要求されてこれを了承し、ここに被告人井上及び同上田は、河内及び同県知事野崎と共謀のうえ、交徳興業株式会社及び被告人井上の縁戚関係者が経営する大宝建設株式会社の利益を図る目的で、河内及び被告人井上において、前記各任務に背き、竜王岡屋の土地の取得について、公社の昭和四八年度事業計画書によって同県知事からその承認を受けていなかったにもかかわらず、同県から前記指示を受ける手続も前記協議及び事業計画変更の手続も執らず、公社用地課長に右土地の正常な取引価格を把握するための前記調査及び算定をさせることもなく、三・三平方メートル当り二万五〇〇〇円という価格が不当に高いことを認識しながら、昭和四八年一一月二二日ころ、前記公社事務所において、公社が右土地を右価格で取得する旨の議案を作成し、これを書面による公社の持ち回り理事会にかけてその議決を得たうえ、同年一一月二六日及び昭和四九年一月二九日の二回に分けて、京都市下京区四条通柳馬場角所在の日本信託銀行株式会社京都支店において、公社が交徳興業株式会社から右土地を右価格に従って合計一七億六四四七万五〇〇〇円で取得する旨の売買契約を締結し、公社に同額の債務を負担させ、よって、公社に対し、右土地の正常な取引価格である約四億六六六四万四〇〇〇円(三・三平方メートル当り六六〇〇円)との差額約一二億九七八三万一〇〇〇円相当の損害を加え

三  被告人上田から、大津市上田上桐生町字西谷一六六八番所在の田外二四二筆の土地(面積合計約二八万七六三二平方メートル。以下「桐生の土地」という。)を不当に高い三・三平方メートル当り六万六〇〇〇円で公社が東海土地建物株式会社から買い取るように要求されてこれを了承し、ここに被告人井上及び同上田は、河内及び同県知事野崎と共謀のうえ、伊吹建設株式会社及び東海土地建物株式会社の利益を図る目的で、河内及び被告人井上において、前記各任務に背き、公社の資金状況は桐生の土地の取得を許容しないものであったから、公社が桐生の土地を取得後日本住宅公団に転売すべく同公団との間でその交渉を進めたが、同公団から右土地を買い受ける旨の確約を得られないうちに、内陸地開発事業であるびわこニュータウン用地造成事業のための用地という名目で桐生の土地を取得することとし、しかも、公社の昭和四九年度(昭和四九年四月一日から昭和五〇年三月三一日まで)事業計画書には桐生の土地の取得についての明示的な記載がなかったため、右事業計画書によって同県知事から右土地取得についての承認を受けたものということはできなかったにもかかわらず、右土地の取得について、びわこニュータウン用地造成事業の所管課である同県企画部と前記協議の手続を執らず、事業計画変更手続も執らないまま、公社職員に桐生の土地の正常な取引価格を把握するためには不十分な調査しか行わせず、公社用地課長に右価格の算定をさせることもなく、三・三平方メートル当り六万六〇〇〇円という価格が不当に高いこと及び公社の資金状況が右土地の取得を許容しないものであることを認識しながら、昭和四九年八月一三日ころ、大津市梅林一丁目一五番二二号所在の公社事務所において、公社が右土地を右価格で取得する旨の議案を作成し、これを書面による公社の持ち回り理事会にかけてその議決を得たうえ、同月一四日、前記日本信託銀行京都支店において、公社が東海土地建物株式会社から右土地を右価格に従った五七億四二五二万八〇〇〇円で取得する旨の売買契約を締結し、公社に同額の債務を負担させ、よって公社に対し、右土地の正常な取引価格である約二〇億一三四二万四〇〇〇円(三・三平方メートル当り二万三一〇〇円)との差額約三七億二九一〇万四〇〇〇円相当の損害を加え

四  被告人上田から、大津市上田上平野町字中立九〇〇番四所在の田外六五七筆の土地(面積合計約九八万七五二一平方メートル。以下「西萱尾の土地」という。)を不当に高い三・三平方メートル当り五万九五〇〇円で公社が飛栄産業株式会社から買い取るように要求されてこれを了承し、ここに被告人井上及び同上田は、河内及び同県知事野崎と共謀のうえ、上田建設株式会社、大和不動産株式会社、伊吹建設株式会社及び飛栄産業株式会社の利益を図る目的で、河内及び被告人井上において、前記各任務に背き、公社の資金状況は西萱尾の土地の取得を許容しないものであったのに、内陸地開発事業であるびわこニュータウン用地造成事業のための用地という名目で西萱尾の土地を取得することとし、右土地の取得について、公社の昭和四九年度事業計画書によって同県知事からその承認を受けていなかったにもかかわらず、びわこニュータウン用地造成事業の所管課である同県企画部と前記協議の手続を執らず、事業計画変更手続も執らないまま、公社職員に西萱尾の土地の正常な取引価格を把握するためには不十分な調査しか行わせず、公社用地課長に右価格の算定をさせることもなく、三・三平方メートル当り五万九五〇〇円という価格が不当に高いこと及び公社の資金状況が右土地の取得を許容しないものであることを認識しながら、昭和四九年九月一七日ころ、前記第一の三記載の公社事務所において、公社が右土地を右価格で取得する旨の議案を作成し、これを書面による公社の持ち回り理事会にかけてその議決を得たうえ、同月二六日、前記日本信託銀行京都支店において、公社が飛栄産業株式会社から右土地を右価格に従った一七七億七四一三万七五〇〇円で取得する旨の売買契約を締結し、公社に同額の債務を負担させ、よって、公社に対し右土地の正常な取引価格である約六七億一五一四万二〇〇〇円(三・三平方メートル当り二万二四四〇円)との差額約一一〇億五八九九万五五〇〇円相当の損害を加え

第二  被告人井上は、昭和四八年八月二〇日、大津市京町三丁目四番一一号所在の江の島ビル二階において、不動産売買等の事業を営むことを目的とする日本クリスター株式会社代表取締役中野文敏から、同会社が所有する滋賀県甲賀郡水口町大字水口字岡ノ後六〇二番一所在の山林外三筆の土地(面積合計四万五五八四平方メートル)を公社に買い取ってもらいたい旨請託を受け、右土地の買い取りに関し有利、便宜な取り計らいを受けたい趣旨で供与されるものであることを知りながら、現金三〇〇万円の供与を受け、もって、自己の前記冒頭記載の職務に関し請託を受けて賄賂を収受し

第三  被告人上田は、上田建設株式会社の業務に関し、

一  同会社の法人税を免れようと企て、昭和四八年五月一日から昭和四九年四月三〇日までの事業年度における同会社の実際所得金額は二〇億四四四九万五一〇一円(別紙1修正損益計算書参照)で、これに対する法人税額は一一億三五九一万九〇〇〇円(課税土地譲渡利益金額が二〇億七八五〇万円でこれに対する土地譲渡税額四億一五七〇万円を含む。別紙2税額計算書参照)であったのにかかわらず、右事業年度の土地の売上の一部を、公表経理上、いまだ売買契約の履行が完了していないように作為し、その収益を当該事業年度の収益としないで未成工事受入金として処理し、故意に収益を繰り延べるなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和四九年七月一日、滋賀県長浜市高田町九番三号所在の所轄長浜税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が一億八〇二三万五二一五円で、これに対する法人税額が三五一二万五一〇〇円である旨過少に記載した法人税確定申告書を提出して虚偽の申告をなし、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により右事業年度の法人税一一億七九万三九〇〇円を免れ

二  同会社の会社臨時特別税を免れようと企て、右事業年度における同会社の実際所得金額は右のとおり二〇億四四四九万五一〇一円で、これに対する会社臨時特別税額は六一〇一万六五〇〇円(別紙2税額計算書参照)であったのにかかわらず、右の方法により所得を秘匿したうえ、会社臨時特別税の申告期限である昭和四九年七月一日までに当該申告書を所轄長浜税務署長に提出せず、もって、不正の行為により右事業年度の会社臨時特別税六一〇一万六五〇〇円を免れ

第四  被告人上田は、大和不動産株式会社の業務に関し、

一  同会社の法人税を免れようと企て、昭和四八年一〇月一日から昭和四九年九月三〇日までの事業年度における同会社の実際所得金額は五億八一六九万八〇五円(別紙3修正損益計算書参照)で、これに対する法人税額は二億八一二二万六〇〇〇円(課税土地譲渡利益金額が三億二八〇六万八〇〇〇円でこれに対する土地譲渡税額六五六一万三六〇〇円を含む。別紙4税額計算書参照)であったのにかかわらず、公表経理上架空の売上原価を計上するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和四九年一一月三〇日、前記所轄長浜税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額は九三一一万三八一四円で、これに対する法人税額は二〇三六万三六〇〇円である旨過少に記載した法人税確定申告書を提出して虚偽の申告をなし、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により右事業年度の法人税二億六〇八六万二四〇〇円を免れ

二  同会社の会社臨時特別税を免れようと企て、右事業年度における同会社の実際所得金額は右のとおり五億八一六九万八〇五円で、これに対する会社臨時特別税額は三二四万七〇〇円(右別紙4参照)であったのにかかわらず、右の方法により所得を秘匿したうえ、会社臨時特別税の申告期限である昭和四九年一一月三〇日までに当該申告書を所轄長浜税務署長に提出せず、もって、不正の行為により右事業年度の会社臨時特別税三二四万七〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

以下において、第一回ないし第二七回、第五八回ないし第六九回、第七九回ないし第八六回公判(公判準備)調書については、判示第一の一ないし四の関係で用いている場合には背任被告事件の、判示第二の関係で用いている場合には収賄被告事件の、判示第三の一、二及び判示第四の一、二の関係で用いている場合には法人税法違反、会社臨時特別税法違反被告事件の各公判(公判準備)調書を指す。

判示第一の一ないし四の各事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一一月二五日付(検丁三号証)、同年一二月四日付、同月五日付、同月一八日付、昭和五一年四月二六日付、同月二八日付各供述調書(被告人上田茂男の関係では、相反部分のみ)

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一二月一四日付(検丁一六号証)、同月一七日付、昭和五一年一月二四日付、同月二八日付各供述調書(被告人上田の関係では判示第一の一及び二の各事実について、相反部分のみ)

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一一月二五日付(検丁二号証)、同年一二月一一日付(検丁一三号証)、同月二五日付各供述調書(被告人井上良平の関係のみ)

一  第九三回ないし第九五回公判調書中の被告人上田茂男の供述部分

一  証人山極元信の当公判延における供述(第一四一回及び第一四二回公判)

一  第二八回ないし第三〇回公判調書中の証人堀茂和の供述部分

一  第五八回公判及び公判準備、第五九回公判各調書中の証人石島修の供述部分

一  第一九回ないし第二一回、第二三回、第二四回公判、第二二回、第二五回公判及び公判準備各調書中の証人久泉正之の供述部分

一  第五六回公判及び公判準備調書中の証人堀理三郎の供述部分

一  第五九回公判及び公判準備調書中の証人北島季雄の供述部分

一  第二六回、第二七回公判、第二五回公判及び公判準備各調書中の証人寺井昭一の供述部分

一  第一五回ないし第一九回公判調書中の証人池本正三の供述部分

一  第一一回ないし第一三回公判調書中の証人芥川憲一の供述部分

一  第二一回及び第三二回公判調書中の証人北川啓一の供述部分

一  第二五回及び第四四回公判調書中の証人田村角三郎の供述部分

一  証人横手正に対する当裁判所の尋問調書

一  河内義明の検察官に対する昭和五〇年一一月二三日付、同月二四日付、同月二六日付、同年一二月六日付、同月一四日付、昭和五一年一月二七日付(二通)、同月三〇日付、同年二月四日付(二通)、同月一二日付、同月一六日付、同月一八日付、同年四月一二日付、同月二〇日付(二通)、同月二三日付、同月三〇日付、同年五月七日付、同年七月七日付、同月二四日付、同年八月六日付各供述調書

一  滋賀県土木部が施行する公共事業に伴う損失補償基準及び同細則

一  登記官杉田定一作成の昭和五一年八月一六日付登記簿謄本

一  登記官西村敏明作成の昭和五〇年一二月九日付(七通)、昭和五一年一月八日付(三通。検甲八、九、一一号証)各登記簿謄本

一  押収している滋賀県土地開発公社重要関係綴一綴(昭和五二年押七五号の一)のうちの建設事務次官及び自治事務次官の発した昭和四七年八月二五日付「公有地の拡大の推進に関する法律の施行について」と題する依命通達、滋賀県議会議長作成の「財団法人滋賀県開発公社の組織変更につき議決を求めることについて」と題する議案が同県議会において可決された旨の証明書

一  押収してある滋賀県土地開発公社規程集一綴(同号の二)のうちの滋賀県土地開発公社定款、滋賀県土地開発公社組織規程

一  押収してある業務覚書関係綴一冊(同号の五)のうちの滋賀県企画部長作成の昭和四八年五月三一日付「滋賀県土地開発公社が行う業務に関する協定書および覚書の締結について(通知)」と題する書面、滋賀県知事および滋賀県土地開発公社理事長作成の昭和四八年六月一日付「滋賀県土地開発公社が行う業務に関する協定書」と題する書面、滋賀県知事及び滋賀県土地開発公社理事長作成の「滋賀県土地開発公社が行なう業務に関する覚書」と題する書面

一  押収してある滋賀県土地開発公社用地事務取扱要領一冊(同号の三)、昭和四八年度予算関係綴一冊(同号の八)、横手正編著改訂増補公有地拡大推進法詳解一冊(同号の一五八)

判示第一の一ないし三の各事実について

一  被告人井上良平の検査官に対する昭和五〇年一二月六日付供述調書(被告人上田の関係では相反部分のみ)

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五一年一月二六日付、同年五月一一日付各供述調書(被告人上田の関係では判示第一の一及び二の各事実について、相反部分のみ)

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一二月一一日付供述調書(検丁一四号証。被告人上田の関係では判示第一の二の事実について、相反部分のみ)

一  河内義明の検察官の対する昭和五一年四月一日付、同月五日付各供述調書

一  押収してあるメモ紙一枚(昭和五二年押七五号の一〇六)、金利計算書五枚(同号の一〇七)、一九七三年用手帳一冊(同号の一〇八)

判示第一の一、三及び四の各事実について

一  第五二回ないし第五四回公判調書中の証人森茂生の供述部分

一  第六五回公判及び公判準備、第六六回公判各調書中の証人大住正次の供述部分

判示第一の一及び二の各事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一二月一三日付、同月一四日付(検丁一七号証)、昭和五一年五月一三日付、同月二〇日付(検丁三六号証)各供述調書(被告人上田の関係では相反部分のみ)

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一二月八日付供述調書(被告人上田の関係では判示第一の一の事実について相反部分のみ)

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一一月二八日付、同年一二月一日付各供述調書(被告人上田の関係では判示第一の二の事実について、相反部分のみ)

一  河内義明の検察官に対する昭和五一年三月二四日付、同年四月一四日付、同月二七日付各供述調書

一  押収してある滋賀県土地開発公社事業計画綴一綴(昭和五二年押七五号の九)のうちの滋賀県知事作成の「昭和四八年度滋賀県土地開発公社予算、事業計画および資金計画の承認について(通知)」と題する書面、和田浩一起案の「昭和四八年度予算、事業計画および資金計画の承認について(申請)」と題する書面(「昭和四八年度事業計画」と題する冊子を含む。)

一  押収してある滋賀県土地開発公社昭和四八年度事業報告書一冊(同号の一〇)、昭和四八年度理事会関係綴一綴(同号の一五)

判示第一の一及び三の各事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五一年五月六日付供述調書(被告人上田の関係では相反部分のみ)

判示第一の三及び四の各事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五一年一月一四日付、同年七月六日付各供述調書(被告人上田の関係では判示第一の三の事実について、相反部分のみ)

一  第九七回及び第一〇三回公判調書中の被告人上田茂男の供述部分

一  証人高岸昇の当公判延における供述(第一三三回公判。被告人井上の関係のみ)

一  第一三三回公判準備調書中の証人高岸昇の供述部分(被告人上田の関係のみ)

一  第一二九回及び第一三〇回公判調書中の証人高岸昇の供述部分

一  第一二八回公判調書中の証人山本秀一の供述部分

一  第五五回、第五七回公判及び公判準備調書中の証人舎夷成雄の供述部分

一  第六四回公判調書中の証人山本藤雄の供述部分

一  第六三回公判調書中の証人大野豊の供述部分

一  第一一八回公判、第一二一回公判及び公判準備各調書中の証人大森康作の供述部分

一  第一一六回及び第一一七回公判調書中の証人田中良三の供述部分

一  第一二六回公判調書中の証人太田博の供述部分

一  第四九回公判及び公判準備調書中の証人小野田正欣の供述部分

一  河内義明の検察官に対する昭和五一年四月八日付、同年五月一七日付各供述調書

一  びわこニュータウンの色分図(検甲四一八号証)

一  検甲五九号証の添付資料写(検甲五九号証の二)

一  検甲六二号証の添付資料写(検甲六二号証の二)

一  押収してある滋賀県土地開発公社事業計画綴一綴(昭和五二年押七五号の九)のうちの谷村純一起案の「昭和四九年度予算、事業計画および資金計画の承認について」と題する書面(「昭和四九年度事業計画」と題する冊子を含む。)、滋賀県知事作成の「昭和四九年度滋賀県土地開発公社予算・事業計画および資金計画の承認について(通知)」と題する書面

一  押収してある昭和四八年度預金関係補助簿一冊(同号の一一)、昭和四八年度開発地仮勘定補助簿一冊(同号の一二)、昭和四八年度総勘定元帳一冊(同号の一三)、昭和四九年度予算編成資料一冊(同号の二一)、昭和四九年度予算見積書一冊(同号の二二)、滋賀県土地開発公社昭和四九年度事業報告書一冊(同号の二三)、昭和四九年度預金関係補助簿一冊(同号の二四)、昭和四九年度開発事業公共事業仮勘定簿一冊(同号の二五)、昭和四九年度総勘定元帳一冊(同号の二六)、「びわこニュータウン開発基本計画」と題する冊子一冊(同号の七九)、「びわこニュータウン開発基本計画の指針」と題する冊子一冊(同号の八〇)、びわこニュータウン字限図一枚(同号の八一)、一九七四年用手帳一冊(同号の一〇九)、昭和四九年度資金計画綴一冊(同号の一七二)

判示第一の一の事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一二月一九日付、同月二〇日付(二通)各供述調書(被告人上田の関係では相反部分のみ)

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五一年五月二〇日付供述調書(検丁三五号証。被告人井上の関係のみ)

一  第九八回公判調書中の被告人上田茂男の供述部分

一  被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月五日付供述調書(検丁八七号証)

一  第三九回、第四〇回公判及び公判準備調書中の証人石原敞の供述部分

一  第四〇回公判及び公判準備調書中の証人芝田正の供述部分

一  第四二回公判調書中の証人新島幸雄の供述部分

一  第四三回公判調書中の証人篠原忠治の供述部分

一  第四一回公判及び公判準備調書中の証人大塚三郎の供述部分

一  第四二回公判及び公判準備調書中の証人新井文央の供述部分

一  石原敞作成の昭和五一年二月二三日付不動産鑑定評価書

一  司法警察員作成の昭和五〇年一二月二三日付実況見分調書

一  登記官斎藤政司作成の昭和五一年一月一三日付登記簿謄本

一  検察事務官作成の昭和五一年二月一九日付捜査報告書

一  司法警察員作成の昭和五一年一月一九日付捜査報告書

一  押収してある佐川土地、谷口土地不動産売買契約書ファイル一冊(昭和五二年押七五号の四九)のうちの株式会社熊谷組・上田建設株式会社間の昭和四八年九月三日付不動産売買契約書、株式会社熊谷組・伊吹建設株式会社間の同日付覚書

一  押収してある大津市真野谷口町不動産売買契約変更契約書等綴一冊(同号の五一)のうちの上田建設株式会社・飛島建設株式会社間の昭和四八年一〇月五日付不動産売買契約書

一  押収してある大津市真野谷口町用地関係書類綴一冊(同号の五四)のうちの芥川憲一起案の「大津市真野谷口町土地の取得について」と題する書面、北島季雄及び池本正三起案の「大津市真野谷口町所在土地取得用地交渉の結果について」と題する書面、芥川憲一起案の「大津市真野谷口町土地にかかる不動産売買契約の締結について」と題する書面

一  押収してある大津市真野谷口町不動産売買契約書ファイル一冊(同号の四七)、真野谷口の不動産売買契約書写等綴一冊(同号の四八)、上田建設株式会社・飛島建設株式会社間の昭和四八年一〇月五日付不動産売買契約書写一通(同号の五〇)及び覚書一通(同号の五三)、芥川憲一起案の「大津市真野谷口町土地にかかる不動産売買契約の締結について」と題する書面一通(廃案。同号の五五)、真野谷口地区登記簿謄本綴一綴(同号の五六)、飛島建設株式会社・滋賀県土地開発公社間の不動産売買契約書一通(同号の五七の一)

判示第一の二の事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一一月二七日付、同年一二月三日付各供述調書(被告人上田の関係では相反部分のみ)

一  第九九回公判調書中の被告人上田茂男の供述部分

一  被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月二日付、同月二八日付各供述調書

一  第一四回公判及び公判準備調書中の証人安居正倫の供述部分

一  第四四回公判及び公判準備調書中の証人寺田準一の供述部分

一  第四五回公判及び公判準備調書中の証人細野成喜の供述部分

一  第四五回公判及び公判準備調書中の証人今田幸吉の供述部分

一  第四六回公判及び公判準備調書中の証人三島好博の供述部分

一  河内義明の検察官に対する昭和五〇年一二月一〇日付供述調書

一  山極元信作成の昭和五六年一一月二四日付鑑定評価書(鑑第八一-六〇二号)

一  司法警察員作成の昭和五一年五月四日付実況見分調書

一  司法警察員作成の昭和五〇年一二月一日付捜査報告書

一  押収してある大宝建設売買契約書綴一冊(昭和五二年押七五号の六〇)のうちの大宝建設株式会社・交徳興業株式会社間の不動産売買契約証書

一  押収してある地域開発用地先行取得関係綴〈1〉一綴(同号の六六)のうちの安居正倫起案の昭和四八年一一月一五日付、同月一九日付「地域開発用地の先行取得について」と題する各書面、安居正倫起案の「蒲生郡竜王町岡屋土地にかかる地域開発先行取得用地の経費の支出について」と題する書面

一  押収してある地域開発先行取得用地関係綴〈2〉(同号の六八)のうちの安居正倫起案の昭和四九年一月二六日付「蒲生郡竜王町岡屋地先(地域開発先行取得用地)にかかる不動産売買契約ならびに経費の支出について」と題する書面

一  押収してある文書綴一冊(同号の六一)、土地取引台帳一冊(同号の六三)、交徳興業株式会社・滋賀県土地開発公社間の昭和四八年一一月二六日付不動産売買契約書一通(同号の六七の一)及び昭和四九年一月二九日付不動産売買契約書一通(同号の六七の三)、竜王岡屋地区登記簿謄本綴四冊(同号の六九の一ないし四)、貸出禀議書五枚(同号の一一〇)

判示第一の三の事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五一年六月二日付、同月三日付、同年七月七日付、同月二九日付各供述調書(被告人上田の関係では相反部分のみ)

一  第一〇一回公判調書中の被告人上田茂男の供述部分

一  被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月一五日付供述調書

一  証人平田盛孚の当公判延における供述(第一三六回公判。被告人井上の関係のみ)

一  第一三六回公判準備調書中の証人平田盛孚の供述部分(被告人上田の関係のみ)

一  第三七回公判(被告人井上の関係)及び第三八回公判準備(被告人上田の関係)各調書中の証人杉沢政喜の供述部分

一  第四七回公判及び公判準備調書中の証人滝田善左衛門の供述部分

一  河内義明の検察官に対する昭和五一年五月一四日付供述調書

一  山極元信作成の昭和五六年一一月二四日付鑑定評価書(鑑第八一-六〇〇号)

一  司法警察員作成の昭和五一年三月二五日付実況見分調書

一  押収してある昭和四九年度理事会関係綴一綴(昭和五二年押七五号の二七)のうちの第五回理事会関係記録

一  押収してあるびわこニュータウン桐生地区用地取得綴一冊(同号八二)のうちの芥川憲一起案の昭和四九年六月二五日付「びわこニュータウン計画にかかる桐生地区用地の確保について」と題する書面

一  押収してある伊吹建設株式会社・東海土地建物株式会社間の昭和四九年三月三〇日付不動産売買契約書写二通(同号の七四、七五)及び覚書写一通(同号の一九三)、芥川憲一起案の昭和四九年八月八日付「びわこニュータウン造成事業にかかる桐生地区用地の取得および不動産売買契約の締結について」と題する書面一綴(廃案。同号の八三)、東海土地建物株式会社・滋賀県土地開発公社間の昭和四九年八月一四日付不動産売買契約書写一通(同号の八四)及び不動産売買契約書一通(同号の八五)、桐生地区登記簿謄本綴一綴(同号の八六)

判示第一の四の事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五一年七月一三日付、同年八月五日付各供述調書(被告人上田の関係では相反部分のみ)

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五一年七月八日付供述調書(被告人井上関係のみ)

一  第一〇二回公判調書中の被告人上田茂男の供述部分

一  被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月一六日付(検丁九二号証)、同月二〇日付、同月三〇日付(検丁九九号証)各供述調書

一  第四八回公判及び公判準備調書中の証人朝田吉雄の供述部分

一  第五〇回公判及び公判準備調書中の証人瀬戸輝夫の供述部分

一  河内義明の検察官に対する昭和五一年五月二四日付、同月二八日付各供述調書

一  山極元信作成の昭和五六年一一月二四日付鑑定評価書(鑑第八一-六〇一号)

一  司法警察員作成の昭和五一年三月二二日付実況見分調書

一  押収してある昭和四九年度理事会関係綴一綴(昭和五二年押七五号の二七)のうちの第七回理事会関係記録

一  押収してある大和不動産株式会社契約書綴一冊(同号の三七)のうちの大和不動産株式会社・京都レース株式会社間の昭和四五年二月五日付不動産売買契約書写及び昭和四六年六月一日付不動産売買契約証書写

一  押収してある伊吹建設株式会社契約書綴一綴(同号の八七)のうちの伊吹建設株式会社・日本レース株式会社間の昭和四六年六月一日付不動産売買契約証書写、伊吹建設株式会社・京都レース株式会社間の昭和四六年五月二五日付、同年六月二五日付各不動産売買契約証書写、日本レース株式会社・伊吹建設株式会社間の昭和四九年四月三〇日付不動産売買契約解除証書写、京都デベロッパー株式会社・伊吹建設株式会社間の同日付不動産売買契約解除証書写

一  押収してある大津市上田上平野町桐生町契約証ファイル一冊(同号の九七)のうちの上田建設株式会社・飛栄産業株式会社及び東海土地建物株式会社間の昭和四九年四月二三日付不動産売買契約書、大和不動産株式会社・飛栄産業株式会社及び東海土地建物株式会社間の同日付不動産売買契約書、伊吹建設株式会社・飛栄産業株式会社及び東海土地建物株式会社間の同日付不動産売買契約書

一  押収してあるびわこニュータウン造成事業西萱尾地区用地取得綴一冊(同号の一〇〇)のうちの芥川憲一起案の昭和四九年九月四日付「びわこニュータウン造成事業にかかる平野町西萱尾地区(仮称)の用地取得および不動産売買契約の締結について」と題する書面

一  押収してある大津市上田上桐生契約書綴一冊(同号の八八)、日本レース株式会社・大成道路株式会社間の昭和四六年六月一日付不動産売買契約書謄本一通(同号の八九)及び同月二九日付不動産売買契約書謄本一通(同号の九〇)、大津市上田上桐生契約書綴一綴(同号の九一)、大成道路株式会社・有楽土地株式会社間の昭和四八年四月二〇日付不動産売買契約書謄本一通(同号の九二)、同年三月二〇日付不動産売買契約書謄本一通(同号の九三)及び同年一二月二五日付不動産売買契約書謄本一通(同号の九四)、大津市上田上桐生引取契約書ファイル一冊(同号の九五)、大和不動産株式会社契約書綴一綴(同号の九六)、芥川憲一起案の昭和四九年九月四日付「びわこニュータウン造成事業にかかる平野町西萱尾地区(仮称)の用地確保および不動産売買予約契約の締結について」と題する書面一綴(廃案。同号の九九)、飛栄産業株式会社・滋賀県土地開発公社間の昭和四九年九月二六日付不動産売買契約書写一通(同号の一〇一)及び不動産売買契約書一通(同号の一〇二)、西萱尾地区登記簿謄本綴四冊(同号の一〇三の一ないし四)、上田建設株式会社、伊吹建設株式会社及び大和不動産株式会社・飛栄産業株式会社及び東海土地建物株式会社間の覚書写二通(同号の一九六、一九七)、メモ書写一枚(同号の一九八)、メモ書写二枚(同号の一九九)

判示第二の事実について

一  被告人井上良平の検察官に対する昭和五〇年一一月三日付、同月六日付、同月八日付、同月一一日付、同月一五日付、同月一六日付(二通)、同月一七日付、同月一九日付、同月二〇日付(検一二一号証)及び司法警察員に対する同年一〇月三一日付、同年一一月七日付、同月九日付、同月一三日付、同月一四日付、同月一六日付、同月一九日付各供述調書

一  証人中野文敏に対する当裁判所の尋問調書三通

一  第六回公判調書中の証人岩見清仁の供述部分

一  第六回、第九回及び第一〇回公判調書中の証人久泉正之の供述部分

一  昭和四八年七月三〇日付振替伝票抄本

一  株式会社大興代表取締役岩見清仁作成の昭和四八年七月三〇日付領収証抄本

一  日本クリスター株式会社代表取締役中野文敏振出の昭和四八年七月二九日付小切手謄本

一  株式会社大興代表取締役岩見清仁作成の昭和四八年八月二〇日付普通預金請求書謄本

一  株式会社滋賀銀行県庁前支店長北川正夫振出の昭和四八年八月二〇日付小切手謄本

一  登記官沓水信太郎作成の昭和五一年二月二〇日付登記簿謄本四通

一  司法警察員作成の昭和五〇年一〇月一三日付、同月二一日付、昭和五一年三月一日付(謄本)各捜査報告書

一  押収してある滋賀県土地開発公社規程集一綴(昭和五二年押一〇号の一)のうちの滋賀県土地開発公社定款、滋賀県土地開発公社組織規程

一  押収してある水口新城契約書関係綴一綴(同号の二)のうちの氏家好太郎起案の昭和四八年九月六日付「公共用地等先行取得に要する代替地の取得について」と題する書面、日本クリスター株式会社・滋賀県土地開発公社間の昭和四八年九月一一日付不動産売買契約書

判示第三の一、二及び第四の一、二の各事実について

一  第八四回公判調書中の被告人上田茂男の供述部分

一  被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年六月二五日付、同月二八日付各供述調書謄本

一  第五九回及び第六〇回公判調書中の証人千足幸司の供述部分

一  第六一回公判調書中の証人渡辺芳春の供述部分

一  第六三回ないし第六七回公判調書中の証人大住正次の供述部分

一  大住正次の検察官に対する昭和五一年六月九日付、同月一〇日付、同月二七日付各供述調書

一  渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月一〇日付、同月一三日付、同月一九日付、同月二六日付、同月二九日付各供述調書

一  検察事務官作成の「上田茂男が所持している印鑑についての捜査報告」と題する書面

判示第三の一及び二の各事実について

一  登記官西村敏明作成の昭和五一年七月二二日付登記簿謄本(上田建設株式会社のもの)

〔上田建設株式会社の昭和四八年五月一日から昭和四九年四月三〇日までの事業年度分の法人税確定申告の状況及び内容並びに会社臨時特別税の不申告の事実並びに別紙1修正損益計算書記載の公表金額に〕

一  渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月二二日付供述調書

一  上田建設株式会社の法人税確定申告書謄本

〔別紙1修正損益計算書記載の勘定科目〈3〉の当期増減金額の内容につき〕

一  被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月八日付、同月九日付、同月一二日付各供述調書

一  第四二回公判調書中の証人新島幸雄の供述部分

一  第四三回公判調書中の証人篠原忠治の供述部分

一  第四一回公判及び公判準備調書中の証人大塚三郎の供述部分

一  第四二回公判準備調書中の証人新井文央の供述部分

一  第四七回公判及び公判準備調書中の証人滝田善左衛門の供述部分

一  第四九回公判及び公判準備調書中の証人小野田正欣の供述部分

一  第五〇回公判準備調書中の証人瀬戸輝夫の供述部分

一  第五二回ないし第五四回公判調書中の証人森茂生の供述部分

一  第五八回公判調書中の証人谷口喜良の供述部分

一  第四〇回公判及び公判準備調書中の証人芝田正の供述部分

一  大住正次の検察官に対する昭和五一年六月二一日付、同月二三日付各供述調書

一  宗雪喜佐一の検察官に対する昭和五一年四月一九日付(不同意部分を除く。)、同年八月一三日付各供述調書

一  押収してある佐川土地、谷口土地不動産売買契約書フォイル一冊(昭和五二年押七五号の四九)、大津市真野谷口町不動産売買契約変更契約書等綴一冊(同号の五一)、上田建設株式会社・飛島建設株式会社間の昭和四八年一〇月五日付覚書一通(昭和五六年押二三号の四)、上田建設株式会社第一九期総勘定元帳一綴(昭和五二年押七五号の一二三)、上田建設株式会社決算書類綴一綴(同号の一三二)、真野谷口地区登記簿謄本綴一綴(同号の五六)、飛島建設株式会社・滋賀県土地開発公社間の不動産売買契約書一通(同号の五七の一)、飛島建設株式会社・京都デベロッパー株式会社間の昭和四八年一一月二四日付不動産売買契約書一通(同号の一四〇)、上田建設株式会社及び伊吹建設株式会社・大日本土木建設株式会社間の昭和四九年三月一一日付覚書写一通(昭和五六年押二三号の六)、上田建設株式会社・株式会社大林組間の昭和四七年一二月二八日付覚書一通(昭和五二年押七五号の一一一)、同日付不動産売買契約証書一通(同号の一一二)、同日付附帯覚書(1)一通(同号の一一三)、昭和四八年三月二〇日付確認書一通(同号の一一四)、同年八月一〇日付不動産売買契約一部解除契約証書一通(同号の一一五)、同日付不動産売買契約証書一通(同号の一一六)及び同日付確認書一通(同号の一一七)、禀議書一綴(同号の一四二)、家田南庄土地買収状況図一枚(同号の一四三)、上田建設株式会社・モリカワ商事株式会社間の昭和四七年一一月三〇日付不動産売買契約書一通(同号の一一九)、モリカワ商事株式会社より上田建設株式会社あての念書一通(昭和五六年押二三号の五)、上田建設株式会社固定資産台帳一綴(昭和五二年押七五号の一三七)、上田建設株式会社第一五期総勘定元帳一綴(同号の一三八)、上田建設株式会社第一六期総勘定元帳一綴(同号の一三九)、上田建設株式会社第一八期総勘定元帳一綴(同号の一二二)

〔同〈4〉の当期増減金額の内容につき〕

一  第四〇回公判及び公判準備調書中の証人芝田正の供述部分

一  国税査察官作成の調査報告書二通

一  検察官及び弁護人作成の合意書面

一  押収してある佐川土地、谷口土地不動産売買契約書ファイル一冊(昭和五二年押七五号の四九)、上田建設株式会社昭和四九年四月分振替伝票綴一綴(同号の一二〇)、上田建設株式会社第一八期総勘定元帳一綴(同号の一二二)上田建設株式会社第一九期総勘定元帳一綴(同号の一二三)

〔同〈23〉の当期増減金額の内容につき〕

一  第四七回公判及び公判準備調書中の証人滝田善左衛門の供述部分

一  押収してある上田建設株式会社・株式会社大林組間の昭和四八年三月二〇日付確認書一通(昭和五二年押七五号の一一四)号及び同年八月一〇日付確認書一通(同号の一一七)、上田建設株式会社第一八期総勘定元帳一綴(同号の一二二)、上田建設株式会社第一九期総勘定元帳一綴(同号の一二三)

〔同〈29〉及び〈31〉の当期増減金額の内容につき〕

一  長浜税務署長作成の証明書(上田建設株式会社の青色申告の承認の取消に関するもの)

一  押収してある上田建設株式会社決算書類綴一綴(昭和五二年押七五号の一三二)

〔同〈30〉及び〈32〉の当期増減金額の内容につき〕

一  被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月八日付供述調書

一  押収してある上田建設株式会社決算書類綴一綴(昭和五二年押七五号の一三二)、上田建設株式会社第一九期総勘定元帳一綴(同号の一二三)

〔同〈39〉の当期増減金額の内容につき〕

一  丸尾哲夫の検察官に対する供述調書

一  押収してある上田建設株式会社決算書類綴一綴(昭和五二年押七五号の一三二)、上田建設株式会社第一八期総勘定元帳一綴(同号の一二二)

〔同〈40〉の当期増減金額の内容につき〕

一  中京税務署長作成の捜査関係事項照会回答書

一  押収してある上田建設株式会社決算書類綴一綴(昭和五二年押七五号の一三二)

判示第四の一及び二の各事実について

一  登記官西村敏明作成の昭和五一年七月二二日付登記簿謄本(大和不動産株式会社のもの)

〔大和不動産株式会社の昭和四八年一〇月一日から昭和四九年九月三〇日までの事業年度分の法人税確定申告の状況及び内容並びに会社臨時特別税の不申告の事実並びに別紙3修正損益計算書記載の公表金額につき〕

一  渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月二三日付供述調書

一  大和不動産株式会社の法人税確定申告書謄本

〔別紙3修正損益計算書記載の勘定科目〈1〉の当期増減金額の内容につき〕

一  大蔵事務官作成の査察官調査書

一  押収してある大和不動産株式会社決算書類綴一綴(昭和五二年押七五号の一三三)

〔同〈4〉の当期増減金額の内容につき〕

一  被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月一二日付供述調書

一  大住正次の検察官に対する昭和五一年六月一一日付、同月一三日付、同月一四日付(二通)、同月二九日付各供述調書

一  大蔵事務官作成の査察官調査書

一  検察官及び弁護人作成の合意書面

一  押収してある大和不動産株式会社契約書綴一綴(昭和五二年押七五号の九六)、大和不動産株式会社第九期総勘定元帳一綴(同号の一二四)、大和不動産株式会社決算書類綴一綴(同号の一三三)

〔同〈24〉の当期増減金額の内容につき〕

一  長浜税務署長作成の証明書(大和不動産株式会社の青色申告の承認の取消に関するもの)

一  押収してある大和不動産株式会社決算書類綴一綴(昭和五二年押七五号の一三三)

〔同〈33〉の当期増減金額の内容につき〕

一  中京税務署長作成の捜査関係事項照会回答書

一  押収してある大和不動産株式会社決算書類綴一綴(昭和五二年押七五号の一三三)

(判示第一の一ないし四の背任の争点に対する判断)

一  公社が背任に係る各土地を取得するに際して河内義明及び被告人井上良平が滋賀県の知事部局との間で執るべき手続を執っていたか否かについて

弁護人は、河内義明及び被告人井上良平は、背任に係る各土地を公社が取得するに際し、交有地の拡大の推進に関する法律(以下「公拡法」という。)などに照らして滋賀県の知事部局との間で執るべき手続を執っており、したがって、右手続に関する任務違背は右両名にはない旨主張するので、この点について検討する。

1  まず、公社の土地取得業務及び手続が法令、通達及び内規等にどのように定められているかについて、関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 公拡法は、昭和四七年六月一五日に公布され、同年九月一日から施行されているが(ただし、土地の先買いに関する部分は、同年一二月一日から施行された。)、同法は、当時の地価の高騰と土地利用の混乱による住宅用地、道路、公園緑地等の公共用地の取得難と無秩序な都市形成に対処するため、従来から地方公共団体の多くが自己に代って土地の先行取得を行わせることを目的として民法上の公益法人の形態で設立していた土地開発公社を公法人として法制化するとともに、従来から行ってきた土地取得財源の充実を一層強化し、さらに、土地が売買される際に地方公共団体等が優先的にこれを買い受けるための協議を行うことができる土地の先買制度を整備することなどによって、交有地の拡大の計画的な推進を図り、もって、地域の秩序ある整備と公共の福祉の増進に資することを目的として制定されたものである。

このように、公拡法に基づいて組織変更された土地開発公社は、土地の先行取得、すなわち、将来の土地需要を予測して、現実の土地需要が発生する前に必要となることが予測される土地を取得することを目的とするものであるが、その具体的な業務の範囲は、昭和四八年法律第七一号による改正前の公拡法一七条に定められており、それは、同法一〇条一項一号の先買いに係る土地、同項二号の道路、公園、緑地その他の公共施設又は公用施設の用に供する土地及び同項三号の公営企業の用に供する土地その他地域の秩序ある整備を図るために必要な政令で定める土地の取得、造成その他の管理及び処分に関する業務、国、地方公共団体その他公共的団体の委託に基づき、土地の取得のあっせん、調査、測量その他これらに類する業務である。なお、住宅用地や内陸工業用地は同項三号の公営企業の用に供する土地に該当するものと解されていたが、右改正法によって、この解釈が明定されるとともに、地方公共団体の委託により、土地の造成等とあわせて整備されるべき公共施設等の整備の業務が付加された。

公拡法は、また、その一八条二項で、「土地開発公社は、毎事業年度、予算、事業計画及び資金計画を作成し、当該事業年度の開始前に、設立団体の長の承認を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。」と定めており、その趣旨は、土地開発公社が地方公共団体の全額出資により設立され、地方公共団体に代って土地の先行取得を行うことを主たる業務とする公法人であって、いわば地方公共団体の分身であり、土地開発公社の事業内容、経営成績などが設立地方公共団体の行財政に大きな影響を与えることが予想されるところから、設立地方公共団体において、土地開発公社の毎事業年度の事業規模、事業内容等が適当であるかどうか、合理的な資金の調達運用を図っているかどうかを監督指導して、土地開発公社の業務の健全な運営を確保できるようにするところにある。さらに、建設事務次官及び自治事務次官から昭和四七年八月二五日付で各都道府県知事等にあてて発せられた「公有地の拡大の推進に関する法律の施行について」と題する依命通達には、土地開発公社のこのような性格にかんがみ、「土地開発公社の業務の執行にあたっては、」「都市計画、農業上の土地利用計画その他地方公共団体の各種計画等との調整が担保されるよう、緊密な連けいを確保」すべき旨命じ、土地開発公社が関係機関とりわけ設立地方公共団体と緊密な連けいを取るべきことを要求している。

(二) 滋賀県では、昭和四八年三月、従来の財団法人滋賀県開発公社を公拡法によって、公社に組織変更した。これにともない、公社は、その出先機関である用地事務所を三箇所新設し、その事業資金を金融機関から借入するために向う三か年で合計四〇〇億円にのぼる滋賀県の債務保証を得て、公拡法の趣旨に従って土地の先行取得等に着手することとなった。

公社の具体的な業務は、前記改正前の公拡法一七条に定めるものと同様であることが公社の定款に規定されている(右改正に従って、定款も変更された。)が、その事業計画書や事業報告書では、財団法人滋賀県開発公社時代からの用語例に従い、公社の業務を公共用地先行取得事業、内陸地開発事業及び公共工事設計調査事業に分類しており、ここにいう公共用地先行取得事業とは、前記改正前の公拡法一〇条一項二号の道路、公園等の用に供する土地、同項一号の先買いに係る土地(昭和四八年度事業計画書にいう市街化区域内公共用地、昭和四九年度事業計画書にいう都市計画区域内公共用地)のみならず、同項三号に該当すると解される住宅用地、工業用地も含めた右各土地の取得を内容とする事実で、当該土地が公社によって造成、処分されることなく滋賀県に買い取られるものを指し、内陸地開発事業とは、公社が住宅用地、工業用地を取得、造成、処分する事業を指す(この工業用地の取得を内容とする公共用地先行取得事業として予定されていたものの具体的な例としては、滋賀県の商工労働部が昭和四八年度、昭和四九年度を通じて計画していた中部工業団地造成事業計画があり、右計画は、同県蒲生郡日野町野出、石原地先、同郡蒲生町鋳物師地先約二三〇万平方メートルの土地について、公社をして地主から買い取らせたうえ、日本住宅公団に造成させることとして、関係各課と意見を調整しながら進められていたものである)。

また、公社は、その業務の健全な運営を確保するため、公拡法一八条二項により、毎事業年度、事業計画等を作成して滋賀県知事の承認を受けるほか、右規定及び前記通達等の趣旨に従って、昭和四八年六月一日に滋賀県知事との間で「滋賀県土地開発公社が行なう業務に関する協定書」(以下「協定書」という。)及び同覚書(以下「覚書」という。)を取り交し、協定書第一項において、県が公社に前記改正前の公拡法一〇条一項各号の土地の取得を行わせる場合には、取得の目的、取得に要する見込費用、県が当該土地を買い取る予定年度等を記載した指示書により右各事項を指示する旨を、また協定書第七項において、公社が前記改正前の公拡法一〇条一項三号による宅地造成事業、工業用地造成事業等を行なう場合には、事業の具体的な範囲、計画、処分の相手方の選定方法、処分価格等の具体的な事項について、県と十分な協議を行うべき旨を定めた。

他方、滋賀県は、昭和四八年三月に滋賀県総合発展計画を策定して、長期的な展望と総合的な視点から、県の進むべき方向を明らかにし、県行政の各分野にわたって、その基本方針を示すとともに、昭和四八年度から昭和五六年度までに達成すべき目標を設定し、これを実現するための施策の大綱を明らかにしたうえで、その細部の実施計画を行政の各分野に委ねた。そこで、その後、県の各部が事業の所管課を定めて前記中部工業団地造成事業計画をはじめとする右実施計画を立てることとなり、公社は、公共用地先行取得事業についてはもちろん内陸地開発事業についても、県の各所管課が右のように実施計画を策定して企画立案するところに従ってその業務を遂行するという体制となっていた。

以上の定め及び業務体制に基づき、公共用地先行取得事業においては、県知事の承認を受ける公社の当該事業年度の事業計画書には、事業計画の内容として「自然環境保全地公有化用地」「住宅工業用地」等の取得という程度の抽象的な記載にとどめ、県の各所管課が事業年度の途中で自らの計画に従い、指示書に記載する前記各事項を検討したうえ、関係各課と意見調整を行い、公社に対する県側の窓口である企画部企画調整課を通じて県知事名義で協定書第一項の指示をするという手続を執ったうえで公社が当該土地を取得すべきものであり、また内陸地開発事業においては、公社の当該事業年度の事業計画書に「水口住宅工業団地造成事業」「びわこニュータウン用地造成事業」等各事業別に事業内容について記載することによって、県知事からその事業計画の承認を受け、右承認を受けたとはいえない土地を事業年度の途中に公社が取得する際には、右土地に係る事業の企画立案にあたる県の所管課と協定書第七項の協議をしたうえ、公拡法一八条二項の事業計画の変更手続をして県知事の承認を受けるという手続を執るべきものであった。

(三) 河内義明は、「滋賀県土地開発公社定款」により、公社を代表し、その業務を総理する理事長として、公社職員を指揮して県との間で右のような各手続を執るべき任務があり、被告人井上良平は、右定款により、公社の業務を掌理し、かつ、右理事長を補佐する副理事長として、理事長を助け、公社職員を指揮して右同様各手続を執るべき任務があった。

2  次に、背任に係る各土地毎に、滋賀県の知事部局との間で執らるべき手続の履行状況について検討する。

(一) 判示第一の一(以下「真野谷口の件」という。)及び判示第一の二(以下「竜王岡屋の件」という。)の場合

関係各証拠によれば、真野谷口及び竜王岡屋の各土地については、公社が右各土地を取得した昭和四八年度の事業計画書にその取得計画がなく、後述のとおり、被告人上田茂男から県の知事部局を通すことなく直接公社にこれを買い取るようにという要求があったことが認められる。従って、河内及び被告人井上としては、右各土地の取得がはたして県の知事部局のいずれかの所管課の計画に繰り入れられて、協定書所定の手続を執ることができるのか否かを確認するため、まず、公社職員をして県の企画調整課に連絡させたうえ、所管課から協定書所定の指示書を得て公共用地先行取得事業として取得するか、あるいは、内陸地開発事業として企画立案しようという所管課があればこれと協定書所定の協議をしたうえ、事業計画の変更手続を執って県知事の承認を受けるべきであったにもかかわらず、関係各証拠によれば、河内及び被告人井上は、右各土地取得前に企画調整課に右のような連絡をとらせることさえしていなかったことが認められる。この点について、第三一回及び第三二回公判調書中の証人北川啓一の供述部分において、昭和四八、九年当時滋賀県の企画部長であった同人は、右各土地を公社が取得した後はもちろん、その前にも公社の理事兼総務部長である堀茂和から右各土地についての指示書を出すよう求められたが、これを断った旨供述するけれども、右各土地取得前に指示書を求められた時期についての供述はやゝあいまいであり、かつ、第二八回ないし第三〇回公判調書中の証人堀茂和の供述部分のうち、同人が北川に指示書を求めたのは右各土地取得後である旨の、指示書を求めることになった経緯やその時期に関する具体的かつ詳細な供述に照らすと、北川供述の右部分は信用することが出来ない。

また、第八三回及び第九〇回公判調書中の被告人井上良平の供述部分において、同被告人は、真野谷口の件については、昭和四八年九月二九日ころ、竜王岡屋の件については、同年一一月七日ころ、いずれも、右各土地取得前に、滋賀県知事野崎欣一郎から京都市の料亭辰馬において、右各土地取得の指示を受けたし、その際右各土地取得の協議もした旨供述しているが、関係各証拠によれば、たしかに、右のころに右場所で被告人井上らが被告人上田から右各土地を公社が買い取るように要求された際、同席した野崎がこれに賛同する意向を示してはいるけれども、野崎の対応は、これにとどまり、その前後に、協定書第一項の指示書の内容をなす事項や協定書第七項の協議すべき事項についての検討が所管課を定めてなされたことはないし、県のいずれの所管課からも真野谷口及び竜王岡屋の各土地について公社に何ら連絡がなかったことが認められ、したがって、河内及び被告人井上としても右のような検討がなされていないことを知っていたものと推認できるから、野崎の右のような対応をもって協定書第一項及び第七項の内容をみたすものということはできない。

(二) 判示第一の三(以下「桐生の件」という。)及び判示第一の四(以下「西萱尾の件」という。)の場合関係各証拠によれば、公社発足当時、公社は、昭和四五年一〇月に県の土木部住宅課が策定した「びわこニュータウン開発基本計画」に沿い、右開発基本計画にいう中央地区について、県の企画部を所管課としてびわこニュータウン用地造成事業を進めていたこと、右開発基本計画は、滋賀県の大津市南部から草津市南部にわたるびわこニュータウン地域の中央地区二一七万二〇〇〇平方メートルを県の事業、その東地区二二三万平方メートル及び西地区二四四万五〇〇〇平方メートルを民間の業者による事業の各部分として位置づけるものであり、桐生の土地及び西萱尾の土地は、いずれもその一部が右東地区のうち右中央地区とは隣接していない地域に含まれていたこと、昭和四八年一二月に、科学技術センターが滋賀県の依頼により、「びわこニュータウン開発基本計画の指針」を策定したが、これは、昭和四五年一〇月以降の社会情勢の変化、ことに国立医科大学の誘致が右中央地区に決定したという状況に対応して、昭和四五年一〇月策定の前記計画を見直そうとするものであるところ、同指針においては、右東西地区の開発も公社で一体として行い計画全体の調和を図ることを提言してはいるけれども、この点についてはあくまで提言にとどまり具体的な検討をしてはおらず、主として公社事業の右中央地区について検討を加えていること(なお、当時懸案であった国体主会場については、びわこニュータウン地区と名神高速道路を隔てたその北側に設置することが相当であるとするものであった)、公社は、右指針が策定されるより前から、いずれも右中央地区に隣接する、右東地区のF地区や右西地区のE地区の買い取りに着手してはいたけれども、右指針策定後、企画部や公社で右の提言について具体的な検討をしたことはなく、したがって、びわこニュータウン用地造成事業について公社の従うべき県による計画の範囲は依然右中央地区に限定されていたこと、ところが、桐生の土地約二八万七六三二平方メートル及び西萱尾の土地約九八万七五二一平方メートルは、いずれも公社が昭和四九年度において、内陸地開発事業であるびわこニュータウン用地造成事業のための用地という名目で取得しているが、県知事の承認を受けた公社の昭和四九年度事業計画書には、びわこニュータウン用地造成事業として「大津市瀬田地区、同市上田上地区、草津市南笠地区の計画面積三三二ヘクタールのうち残る未買収地の確保をはかる。」と記載されているのみで、その未買収地の所在等については明示されていないことが認められる。

してみると、桐生は大津市上田上の一部であり、また押収してある昭和四九年度予算編成資料一冊(昭和五二年押七五号の二一)によれば、同資料中に右三三二ヘクタールのうちに桐生の土地の一部一六万五三〇〇平方メートルが含まれる旨の記載はあるが、びわこニュータウン用地造成事業について公社の従うべき県による計画の範囲は当時前記中央地区に限定されていたのであり、にもかかわらず前記東地区にあたり、右計画範囲に含まれない桐生の土地二八万平方メートル余を公社が取得するのであれば県の行財政に重大な影響を及ぼす土地取得となるのであるから、事業計画書には具体的に明示されるべきであって、前記程度の記載をもって右土地取得につき公拡法一八条二項の承認があったということは到底できない。右予算編成資料一冊によって右三三二ヘクタールのうちには含まれていないことが認められる西萱尾の土地の取得についてもまた同じである。したがって、河内及び被告人井上は、桐生の土地及び西萱尾の土地を取得するに際して、それぞれ、協定書第七項により、びわこニュータウン用地造成事業の所管課である企画部と事業の具体的な範囲等の基本的な事項について協議したうえ、事業計画の変更手続をして県知事の承認を受けるという手続を執るべきであったにもかかわらず、関係各証拠によれば、右各土地取得のいずれの場合にも右手続を執らなかったことが認められるのである。

もっとも、押収してある公有地等先行取得(県指示)関係綴一冊(前同押号の七〇)のうちの滋賀県知事野崎欣一郎作成の昭和四九年二月四日付「滋賀県土地開発公社の事業の了知について(通知)」と題する書面及び押収してある田村角三郎起案の同月一日付回議書(同書面に添付されている滋賀県土地開発公社理事長河内義明作成の同年一月三一日付「滋賀県土地開発公社実施事業に関する承認について」と題する書面を含む。同号の七一)によれば、桐生の土地(ただし、面積は一六万五二九〇平方メートルと表示)を公社が取得することについて、滋賀県知事から昭和四九年二月四日付で公社あてに、これを「了知いたしました。」という内容の文書が発せられていることが認められるけれども、関係各証拠によれば、昭和四八年度中である昭和四八年一二月から昭和四九年一月にかけて、河内及び公社理事兼総務部長堀茂和は、被告人上田から公社で買い取るように要求されていた桐生の土地の取得について、滋賀県副知事舎夷成雄及び同県企画部長北川啓一に、指示書を出してくれるように求めたところ、同県知事野崎欣一郎が、これに対し、予め知っておく、すなわち、了知という回答を出すべき旨の意向を示すにとどまったので、なおも河内及び堀は、舎夷及び北川に執ように指示書を出すように求めたが容れられず、それならば右取得についての県の責任を明らかにする目的で、県知事に対してその取得について昭和四九年度事業として承認を求める旨の文書を昭和四九年一月三一日付で出したけれども、結局、県知事から同年二月四日付で右の「了知いたしました。」という内容の文書が発せられたこと、この間における県と公社との間のやり取りの中身は、桐生の土地の取得について指示書が出せるか否かの点に尽き、協定書第七項に定める事項については、企画部においても公社においても検討されていないことが認められ、これらの事実からすると、右の「了知いたしました。」という内容の文書が発せられたことをもって、協定書第七項の協議があったものということはできない。

また、右公有地等先行取得(県指示)関係綴一冊のうちの滋賀県知事野崎欣一郎作成の昭和四九年八月二七日付「滋賀県土地開発公社の事業の了知について(通知)」と題する書面及び押収してある飯田光久起案の同月二一日付回議書(同書面に添付されている滋賀県土地開発公社理事長河内義明作成の同月一六日付「滋賀県土地開発公社実施事業に関する協議について」と題する書面を含む。前同押号の七二)によれば、西萱尾の土地の取得についても、滋賀県知事から昭和四九年八月二七日付で公社あてに、これを「了知いたしました。」という内容の文書が発せられてることが認められるけれども、関係各証拠によれば、右取得についてもまた、企画部においても公社においても、協定書第七項に定める事項の検討がなされていないことが認められるから、右の「了知いたしました。」という内容の文書が発せられたことをもって、協定書第七項の協議があったものということはできない。

二  背任に係る各土地の取得価格が不当に高いものであるか否かについて

弁護士は、背任に係る各土地を公社が取得した判示各価格は、いずれも相当な価格であって、これを不当に高いものということはできない旨主張するので、この点について検討する。

1  まず、山極元信作成の背任に係る各土地の各鑑定評価書について検討すると、右証拠及び山極元信作成の報告書、証人山極元信の当公判延(第一四一回、第一四二回)における供述によれば、右各鑑定に共通した手法は、右各土地をいずれも、宅地見込地と評価したうえ、大規模な宅地見込地の取引事例から求めた比準価格、地目毎の比準価格に各数量を乗じて求めた比準価格、造成想定価格の三様の価格を関連づけて得た価格を標準にして、自由な取引が行われるとした場合におけるその取引において通常成立すると認められる正常価格を鑑定評価額として求めていること、大規模事例からの比準価格は、滋賀県下で鑑定対象不動産と類似地域にある宅地見込地の取引事例を収集し、その中から規範性の高い三例を選択し、右各事例の価格が取引事情により割安あるいは割高になっている場合にはその点の補正をし、右各事例と鑑定対象不動産の取引時点の相違による地価の変動を考慮して、右各事例の価格を時点修正したうえ、鑑定対象不動産と右各事例との間の、交通条件(交通機関への距離・所要時間)、接近条件(商業施設、教育施設、公共施設への距離・所要時間)、環境条件、宅地造成条件(造成の難易等)、行政的条件(市街化区域、市街化調整区域の別等)及び将来性を比較し、鑑定対象不動産の個別的要因(古墳群内包、保安林内包、平坦部分の多いこと、県道に接面していること等)をも考慮して、これらの土地価格形成上の諸要素を総合的に比較検討してこれを求めていること、地目別加重平均比準価格についても前同様の比較検討をして求めていること、造成想定価格は、鑑定対象不動産に適用される宅地開発指導要綱等を考慮に入れてこれを造成する計画を立てたうえで、同一需給圏内の類似地域に属する取引事例による比準価格及び公示価格を規準とした価格を勘案して求めた造成後の想定更地価格から、諸事例と比較検討して算出した造成工事費、右指導要綱等から算出した付帯費用等を差し引き、さらに、鑑定対象不動産が市街化調整区域にあること等にあること等により開発に着手するまで時日を要することを考慮した熟成度修正をしてこれを求めていること、背任に係る各土地に対する右鑑定手法の適用についても、右各土地を鑑定人が数回ずつ実査し、必要な調査を遂げたうえ、それぞれの項目について多数の事例を用い、比準価格算定の際の格差率の判定には国土庁土地局地価調査課監修になる「土地価格比準表」を参考としたうえ、具体的かつ詳細に検討していることが認められ、これらの事実からすると、右各鑑定は合理的で客観性のあるものということができる。

もっとも、右各証拠によれば、右鑑定手法では、造成想定価格を求める際、造成後の想定更地価格を鑑定対象不動産の取引時点に時点修正していて、その後の熟成度修正期間及び造成期間における値上がりを考慮していないことが認められはするけれども、右各証拠によれば、このように値上がりを考慮しないのは、造成想定価格を採算性を吟味するためのものとして求めるため、不確定要素を排除し安全性を重視する必要があるからであり、したがって、造成想定価格は、右鑑定手法の大規模事例からの比準価格、地目別加重平均比準価格よりも低位に来るものとして位置づけられていることが認められるから、右鑑定手法の合理性を左右するに足りないし、また、関係各証拠によれば、竜王岡屋の土地の北東部分の進入取付道路は、右土地を公社が取得した後に設置されたことが認められるにもかかわらず、右土地についての右鑑定評価書(鑑第八一-六〇二号)によれば、右鑑定評価書では右進入取付道路がすでに右取得時点において設置されていたことを前提とし、その点を個別的要因として五パーセント右土地の価格が高くなるものと格差率を判定してはいるけれども、右のように格差率が小さいことに加えて、大規模事例からの比準価格一平方メートル当り二四八〇円と造成想定価格一平方メートル当り一八三〇円の中間値に竜王町の一般的要因を考慮して一平方メートル当り二〇〇〇円の正常価格を求めている算出過程からして、右の個別的要因が右算出の結論に影響することはないものと認められるので、この点でも右鑑定評価書の合理性が左右されることはない。

さらに、第八七回公判調書中の被告人井上良平の供述部分、証人河本成雄の当公判延(第一三八回)における供述、第二一回公判調書中の証人久泉正之の供述部分、第五八回公判及び公判準備、第五九回公判各調書中の証人石島修の供述部分、東海土地建物株式会社・滋賀県住宅供給公社間の昭和四九年一〇月二二日付不動産売買仮契約書写及び同年一二月二日付不動産売買本契約書写、押収してある草津市土地開発公社理事長春日file_2.jpg郎作成の回答書一通(前同押号の一六九)によれば、昭和四八年一〇月ころ草津市南笠町字水呑及び深谷付近の土地を公社が三・三平方メートル当り約五万八〇〇〇円ないし約六万五〇〇〇円で取得したこと、昭和四九年一二月二日、草津市岡本町東鴻ノ池一〇七九-一所在の原野外三九二筆面積合計五六万二六二七平方メートルの土地のうちの三分の一を滋賀県住宅供給公社が三・三平方メートル当り五万九五〇〇円で取得したこと、昭和五一年一二月一五日、草津市馬場町字岩川原一〇七五-二所在の土地二〇四五平方メートルを草津栗東開発事業団が三・三平方メートル当り五万八五〇〇円で関西電力株式会社に売り渡したこと、昭和四九年ころびわこニュータウン地区の北側の原野が三・三平方メートル当り六万九〇〇〇円で売買されたことが認められ、これらの事実は、桐生及び西萱尾の各土地の近隣地域において、前記鑑定による正常価格(桐生の土地につき三・三平方メートル当り二万三一〇〇円、西萱尾の土地につき三・三平方メートル当り二万二四四〇円)をはるかに超える公社の判示取得価格(桐生の土地につき三・三平方メートル当り六万六〇〇〇円、西萱尾の土地につき三・三平方メートル当り五万九五〇〇円)と近い価格で取引された事例があることを示すものではあるけれども、関係各証拠によれば、右水呑及び深谷付近の土地は、砂利採取業者から公社が取得したもので、右土地には砂利採取のための機械設備が設置してあったりなどしたためにその取得交渉が難航したという取引事情により取得価格が割高になっていること、右岡本地区は、その大部分が市街化区域に属するもので、市街化調整区域にある桐生及び西萱尾の各土地とは行政的な規制を異にするものであったこと、右馬場町の土地は、取引面積がわずかであることなどの土地価格に影響を及ぼす諸事情が認められるのであって、前記各鑑定は近傍類地の取引事例を収集し、その中から規範性の高いものを選択し、それに前記事情補正、時点修正を加え、取引事例と対象不動産について前記土地価格形成上の諸要素を総合的に比較考慮して結論を導いているのであるから、そのような比較検討を経ていない右水呑及び深谷等の取引事例の存在をもって、右各鑑定の合理性を左右することはできない。

2  ところで、公拡法二三条二項、同法附則四条、六条、七条、九条、一〇条、同法施行令八条一項四号、昭和四八年法律第七一号附則五条、昭和四九年三月三〇日公布の法律第一九号(地方税法の一部を改正する法律)による改正後の地方税法五八六条二項二九号によれば、公社は、法人税、法人事業税、所得税、土地譲渡税、登録免許税及び印紙税が非課税であり、不動産取得税及び特別土地保有税も業務によっては非課税であって、右各租税の納入に要する分の経費を免れることができ、また、市街化調整区域においても滋賀県知事の許可を受けることなく開発行為をすることができて、その許可の必要な業者と比較して当該土地を右許可のあるまでの期間保有するのに要する経費もまた不要であるところから、弁護人は、公社に対するこれら優遇措置を民間デベロッパーとの土地取得競争に活かし、前記各鑑定評価額よりも右各経費分だけ高い価格をもって、公社が土地を取得しても、公拡法の趣旨からしてなお相当な価格ということができる旨主張するが、右各優遇措置は、いずれも、公社が前記のように地方公共団体に代って業務を行うというその公共性にかんがみてとられた措置であるに過ぎず、右措置がとられているからといって、直ちにこれによって免れることになる経費分だけ高い価格で土地を取得することが許されるものとは解し難いところである。そして、このことは、次の事実からも明らかである。すなわち、押収してある滋賀県土地開発公社重要関係綴一綴(前同押号の一)のうちの滋賀県議会議長作成の「財団法人滋賀県開発公社の組織変更につき議決を求めることについて」と題する議案が同県議会において可決された旨の証明書、押収してある滋賀県土地開発公社規程集一綴(同号の二)のうちの滋賀県土地開発公社定款、滋賀県土地開発公社用地事務取扱要領一冊(同号の三)及び滋賀県土木部が施行する公共事業に伴う損失補償基準および同細則によれば、公社の用地事務取扱要領には、公社の土地取得業務全般について、土地を取得する際の売買代金は、「滋賀県土木部が施行する公共事業に伴う損失補償基準および同細則」に基き適正に算定しなければならない旨定められているところ(同要領一条、二条六項、六条)(同要領六条には、「損失補償金」という表現が用いられているが、同要領七条、一四条、右損失補償基準および同細則によれば、公社が土地を買い受ける場合の右損失補償金の内容は、土地の売買代金のほか、当該土地上にある建物の移転料や土地売買に伴い営業を廃止しなければならないことによる損失の補償金などの損失補償金を意味することが明らかであるところ、関係各証拠によれば、背任に係る各土地については、公社は各売主に対して右売買代金以外の損失補償金を支払う必要のないことが認められる。)、右損失補償基準および同細則には、右売買代金は、近傍類地(近傍地及び類地を含む。)の取引価格にその取引事情による補正及び時点修正を加えたものを基準とし、これらの土地及び取得する土地について、所定の土地価格形成上の諸要素を総合的に比較考慮して算定した価格に、宅地見込地については造成想定価格等を参考として得た正常な取引価格によるべき旨定められていること(同基準二条、七条、八条、同細則第一)(同基準八条の二、同細則第一の二には、当該土地の近傍類地に公示価格が設定されている場合には、正常な取引価格の決定に際して、右公示価格との間に均衡を保たせなければならない旨定められているが、押収してある「滋賀県における土地利用の現状と対策」と題する冊子一冊〔前同押号の一六〇〕及び昭和四九年五月一日付官報写一部〔同号の一七四〕によれば、滋賀県において地価公示がなされたのは、昭和四九年五月一日からであるため、公社が真野谷口及び竜王岡屋の各土地を取得した際には、同県において地価公示はなされていなかったことが認められ、また、山極元信作成の桐生及び西萱尾の各土地についての各鑑定評価書〔鑑第八一-六〇〇号、六〇一号〕によれば、公社が右各土地を取得した際にもその近傍類地に公示価格が設定されていなかったことが認められるから、公社が背任に係る各土地を取得した際には、公示価格に関する同基準八条の二、同細則第一の二はこれを適用することができなかったものといわなければならない。)が認められるところ、この事実からすると、公社は右各鑑定と同様の見地に立って、前記正常価格をもって土地取得価格とするよう定めていたものと推認し得るのである。

したがって、公社が前記優遇措置によって免れることのできる各経費分だけ右各鑑定評価額よりも高額に定められた価格をもって公社が土地を取得する場合の相当価格ということはできない。

なお、第一七回公判調書中の証人池本正三の供述部分、第一一回公判調書中の証人芥川憲一の供述部分、押収してある業務覚書関係綴一冊(前同押号の五)のうちの滋賀県企画部長作成の「滋賀県土地開発公社が行う業務に関する協定書および覚書の締結について(通知)」と題する書面、滋賀県知事及び滋賀県土地開発公社理事長作成の「滋賀県土地開発公社が行なう業務に関する協定書」と題する書面、滋賀県知事及び滋賀県土地開発公社理事長作成の「滋賀県土地開発公社が行なう業務に関する覚書」と題する書面、前記用地事務取扱要領一冊によれば、近傍類地の取引価格等を調査するなどして土地の正常な取引価格を算定すべき職員について、右用地事務取扱要領には、公社の用地課長である旨定められていること、一方、覚書には、公社が公共用地選考取得事業として取得に要する見込費用(単価・面積)等を県から指示されて土地の取得を行う場合について、県の知事部局との関係で公社が果すべき役割分担が定められているが、そこでは公社において右の調査及び算定をすべきものとはされていないから、これを県の知事部局でする趣旨であることが認められるところ、前記認定のとおり、背任に係る各土地については、いずれも公共用地先行取得事業として県から指示を受けて取得したものではないから、右調査及び算定をすべき職員は公社の用地課長であったものと認定するのが相当である。

3  また、被告人井上は、第七〇回、第八六回及び第八七回公判調書中の同被告人の供述部分において、不動産業者の間では、土地取得単価とそれを造成して販売した場合の販売単価との間に一対三の関係があれば採算がとれるという常識があり、真野谷口の土地については、その近くのびわ湖ローズタウンが右土地取得当時三・三平方メートル当り約一六万円、昭和五六年ころ三・三平方メートル当り約一七万円ないし約一九万円であったことをはじめとして、背任に係る各土地について、いずれも右のような関係にあったことを示す近傍地の造成地販売事例があるから、背任に係る各土地の取得価格は、いずれも相当価格であり、右の一対三の関係があれば採算がとれるという常識の裏づけとして、浅沼興産株式会社の工事原価計出表がある旨供述し、前記証人石島修の供述部分、第五五回、第五七回公判及び公判準備調書中の証人舎夷成雄の供述部分において、右各証人は、これに沿う供述をするけれども、押収してある被告人井上良平作成の昭和五七年一一月三〇日付上申書一通(前同押号の一八九)によれば、右工事原価計出表四例のうち、全体面積が七万三四二八・三平方メートルと最も広い事例についてみると、取得単価が三・三平方メートル当り九万一六九三円、販売単価が三・三平方メートル当り四二万一一〇六円であって、この間には、一対四・五九の関係があることが認められ、被告人井上の供述する一対三とは合致せず、右事例は取得単価をより低く抑えているものといえるばかりでなく、右の一対三というのは、前記損失補償基準および同細則の採る正常価格の基準とも相違する概算的な数字であるから、被告人井上の右供述は採用することができない。

4  ただし、石原敞作成の昭和五〇年一二月一二日付、昭和五一年二月二三日付、中村健夫及び米田輝男作成の昭和五一年五月一〇日付各不動産鑑定評価書、第三九回、第四〇回公判及び公判準備調書中の証人石原敞の供述部分、第三九回公判及び公判準備調書中の証人米田輝男の供述部分によれば、背任に係る各土地についての右各鑑定評価書も、取引事例から求めた比準価格と造成想定価格とから正常価格を算定した合理的なものであることが認められ、したがって、右各鑑定による評価額と前記山極元信作成の各鑑定評価書の評価額との間では、いずれの土地についても、より高い方が正常価格ではないかという疑いが残るので、各土地についてより高い方の鑑定評価額を採用し、真野谷口の土地については、石原敞作成の昭和五一年二月二三日付不動産鑑定評価書により、三・三平方メートル当り二万三一〇〇円(合計約一七億四〇〇〇万円)を、竜王岡屋、桐生及び西萱尾の各土地については、いずれも山極元信作成の右各土地の各鑑定評価書により、竜王岡屋の土地について三・三平方メートル当り六六〇〇円(竜王岡屋の土地の合計面積は、押収してある交徳興業株式会社・滋賀県土地開発公社間の昭和四八年一一月二六日付不動産売買契約書一通〔前同押号の六七の一〕、交徳興業株式会社・滋賀県土地開発公社間の昭和四九年一月二九日付不動産売買契約書一通〔同号の六七の三〕、竜王岡屋地区登記簿謄本綴四冊〔同号の六九の一ないし四〕によれば、約二三万三三二一・九七平方メートルであることが認められるから、その合計金額は、右単価と右合計面積とから、約四億六六六四万四〇〇〇円である。)桐生の土地について三・三平方メートル当り二万三一〇〇円(合計約二〇億一三四二万四〇〇〇円)、西萱尾の土地について三・三平方メートル当り二万二四四〇円(合計約六七億一五一四万二〇〇〇円)をもって右各土地取得についての正常価格かつ相当価格であるものと認定するのが相当であり、したがって、右各土地について、右各価格をそれぞれはるかに超える公社の判示各取得価格は、いずも不当に高いものといわなければならない。

三  真野谷口及び竜王岡屋の各土地が開発するには適当でない土地か否かについて

1  本件公訴事実中、真野谷口の件は、同土地につき「その地域内には多くの古墳や第三者の所有地があり開発が困難で、利用価値も極めて乏しい」というのであって、たしかに、関係各証拠によれば、真野谷口の土地には古墳が存在し、右土地に囲まれる形で第三者所有地も存在することは認められるけれども、前記証人山極元信の供述及び同石原敞の供述部分、山極元信作成の昭和五六年一一月二四日付鑑定評価書(鑑第八一-五九九号)、石原敞作成の昭和五一年二月二三日付不動産鑑定評価書、司法警察員作成の昭和五〇年一二月二三日付実況見分調書、検察事務官作成の昭和五一年二月一九日付捜査報告書、司法警察員作成の昭和五一年一月一九日付捜査報告書、登記官中川原賢一作成の昭和五一年三月一〇日付登記簿謄本二通、押収してある大津市真野谷口町用地関係書類綴一冊(前同押号の五四)のうちの滋賀県教育委員会教育長柳原太郎作成の昭和五〇年一月一四日付「春日山古墳群の史跡指定について(通知)」と題する書面及び同人作成の昭和四九年一一月二二日付「堅田春日山古墳群E支群の史跡指定について」と題する書面、真野谷口地区登記簿謄本綴一綴(同号の五六)、飛島建設株式会社・滋賀県土地開発公社間の昭和四八年一一月二四日付不動産売買契約書一通(同号の五七の一)、春日山古墳分布図一綴(同号の一五二)、大津市堅田谷口町土地図一枚(同号の一五三)によれば、真野谷口の土地内の古墳は、右土地の東南端、西南端及び中心部にあり、この中心部のものは四基で、右土地約二五万平方メートルのうち右各古墳によって開発の支障となる部分の面積は約二万六〇〇〇平方メートルないし約三万六九〇〇平方メートルに過ぎず、住宅開発の場合に、古墳はその開発のために必要な公園緑地として利用されるのが一般的であることとも相まって、右各古墳が真野谷口の土地の開発に及ぼす障害は過大ではなく、右土地に囲まれた第三者の所有地もわずかに二筆でその実測合計が一七一六・七八平方メートルにすぎないうえ、真野谷口の土地を公社が取得した時点においては、右土地から東方約一キロメートルにある国鉄堅田駅を通る国鉄湖西線が昭和四九年七月に開通することが確定されており、右開通により同駅から国鉄京都駅まで約三〇分、国鉄大阪駅まで約六〇分の所要時間となって都心への時間的距離が飛躍的に短縮されることが判明していたのであり、最寄りの商業施設、教育施設及び公共施設へも右土地の中心から徒歩で約二〇分の所要時間であって、右土地の琵琶湖を望む景観等自然的環境条件も良好であることなどからすれば、右土地は居住快適性と生活利便性を兼ね備えた住宅適地であること、その造成の難易も中程度であることが認められ、これらの事実からすると、右土地が開発が困難で、利用価値も極めて乏しいものと認定することはできない。

2  本件公訴事実中、竜王岡屋の件は、同土地につき、「交通不便な丘陵地帯にあるなど公共用地等としての利用価値も乏しい」というのであって、たしかに、関係各証拠によれば、竜王岡屋の土地の大部分は、標高約一五〇メートル程度の東西に延びる尾根筋を中心にして南及び北に谷筋のある緩傾斜の丘陵地であること、右土地から最寄りのバス停留所までは徒歩約一〇分、そこから国鉄近江八幡駅までバスで約二〇分ないし約三〇分、同駅から国鉄京都駅までが約五〇分という各所要時間であって、交通の便は良好とはいいがたかったこと、昭和五六年七月にオープンした名神高速道路竜王インターチェンジの国土開発企画課幹線自動車道建設審議会の承認は昭和五一年七月二〇日であり、公社が右土地の一部を昭和四八年一一月二六日に取得した当時にその確定はなされていなかったことのほか、この当時すでに同年一二月二八日には右土地が市街化調整区域に線引きされることが予定されていたこと、右土地には土砂流出防備保安林が存在することは認められるけれども、証人龍口覚の当公判延(一三九回)における供述、山極元信作成の昭和五六年一一月二四日付鑑定評価書(鑑第八一-六〇二号)、石原敞作成の昭和五〇年一二月一二日付不動産鑑定評価書、保安林解除に関する弁甲一九号証、二〇号証の一ないし一四、二一号証の一ないし六、二二号証の一ないし八、二三号証の一ないし六、二四号証の一ないし九、二五号証の一ないし五、二六号証の一ないし一〇、二七号証の一ないし六、三一号証の一ないし九及び三三号証の一ないし三によれば、右保安林は、公簿面積合計四万二八七三平方メートルで、右土地全体の約一八パーセントを占めるものの、右土地を宅地造成する場合には、これに必要な緑地として保安林をそのまま利用することもできるし、医科大学用地とするためなどの公益上の理由により必要が生じたときに森林法二六条二項によりその指定が解除されるだけでなく、当該保安林の機能に代替する機能を果すべき施設が設置される等一定の要件を満たす場合にも、その指定の理由が消滅したものとして同法二六条一項によりその指定を解除する運用がなされていたこと、竜王岡屋の土地の周辺部には大小規模の工場等が多数立地していることなどから、その通勤勤労者を主たる購売層とする地元需要がある程度見込める住宅団地として、あるいは工業団地として、右土地を造成利用することができること、右土地は、尾根筋及び谷筋を含む地勢の補完性により、土砂の搬出入はほとんど必要なく、地盤等は比較的良好であり、造成の難易は中程度であることが認められ、これらの事実に前述のとおり市街化調整区域においても公社は滋賀県知事の許可を受けることなく開発行為をすることができることをも併せ考えると、右土地が公共用地等としての利用価値に乏しいものと認定することはできない。

四  桐生及び西萱尾の各土地を取得する際の公社の資金状況について

被告人井上は、第七二回、第七五回、第一一〇回及び第一一三回公判調書中の同被告人の供述部分において、公社が桐生及び西萱尾の各土地を取得する際の資金状況は必ずしも悪いものではなかった旨供述するので、この点について検討する。

関係各証拠によれば、公社がその業務を遂行するための資金としては、その大部分を株式会社滋賀銀行、滋賀県信用農業協同組合連合会、株式会社第一勧業銀行、株式会社大和銀行及び株式会社滋賀相互銀行からなる協調融資団からの融資金によっているが、これに加えて滋賀県からの貸付金があるほか、内陸地開発事業により造成地を処分して得た収入や公共用地先行取得事業として取得した土地を滋賀県に売り渡して得た収入で、すぐには協調融資団からの借入金の返済に用いないものがあったこと、協調融資団からの融資の関係についてみると、昭和四八年秋の石油の供給削減に伴う緊急事態に対処するため、同年一二月二五日付で大蔵省銀行局長から各金融機関代表者あてに、「当面の経済情勢に対処するための金融機関の融資のあり方について」と題する通達が発せられ、昭和四九年一月中旬ころ、協調融資団から公社に対して、右通達をもとにして、これからは緊急やむをえない事業についてしか融資できなくなり、びわこニュータウンの関係で融資できるのは国立医科大学に関連する事業だけであって、あらかじめ三か月先までの資金計画を各事業ごとに協調融資団に提出し、協調融資団が大蔵省銀行局と協議して査定したところに従って融資する旨の申入れがあったこと、公社は、その後、実際に右申し入れの趣旨に従って融資を受けたが、公社が桐生及び西萱尾の各土地を取得するまでに、右査定を受けたびわこニュータウンの用地取得資金の関係についてみると、昭和四九年一月ないし三月分では、国立医科大学事業として、医科大学用地買収資金一四億六七〇〇万円及び医大関連瀬田西保安林用地買収資金一〇億九八〇〇万円の借入を求めたのに対して、右査定によって貸し出すことが認められたのは、前者が七億四五〇〇万円、後者が五億二〇〇〇万円であり、また昭和四九年四月ないし六月分では、医科大学用地買収資金四億三七〇〇万円の借入を求めたのに対して、右査定によりこの分の融資を行わないこととされ、さらに昭和四九年七月ないし九月分では、びわこニュータウン用地造成事業(医大関連)として、医科大学用地、医大関連用地の他、桐生の土地も医大代替用地という名目でこれらと合せて用地買収資金合計二二億五〇〇〇万円の借入を求めたのに対して、右査定により一〇億円に減額して貸し出すことが認められたにすぎなかったものであり、このように、公社の借入申し込み額に対して大幅な減額が行われていたうえ、西萱尾の土地の取得資金については、その取得時点までに、少なくとも明示的にはその借入申し込みがなされたことはなかったこと、滋賀県からの貸付金については、昭和四八年一二月末現在で、右貸付金残高一一億五九二〇万円が定期預金とされており(協議融資団からは、前記のとおりの融資を受けるほか、右定期預金を担保として借入する分があった)、昭和四九年三月二八日には、これに加えて、事業資金貸付金六億円及び国立医科大学用地取得資金貸付金七億円の貸付を受け、これら合計一三億円は通知預金とされたものの、公社が桐生の土地を取得した昭和四九年八月一四日の前月である同年七月末現在における公社の各預金残高が、普通預金八〇一六万一六三九円、通知預金七億八四〇万円、定期預金一一億五九二〇万円、当座預金零円となっていたことが示すとおり、公社の前記各資金は、右土地を取得したころには、そのほとんどが事業遂行のための支払と借入金の返済にあてられて費消されてしまっていたため、桐生の土地の売買代金は五七億円余りであったにもかかわらず、契約時においては、右通知預金から五億三〇〇〇万円を支払うことができたにすぎず、西萱尾の土地の売買代金は一七七億円余りであったにもかかわらず、公社がこれを取得した昭和四九年九月二六日から未だ日の浅い同年一〇月五日に、一〇億円を支払うことができたにすぎなかったうえ、この一〇億円は、前記の同年七月ないし九月分の医大関連事業資金として査定により融資の認められた一〇億円をあてたものであって、公社はこのように資金繰りに窮していたことが認められ、これらの事実からすると、公社が桐生及び西萱尾の各土地を取得した際には、右各土地取得についての資金状況は極めて厳しく、右各土地の取得が許容されるようなものではなかったものと認定するのが相当である。

もっとも、検甲五九号証の添付資料写(検甲五九号証の二)、大蔵省銀行局銀行課大臣官房専門調査官高木常年作成の「裁判関係事項照会及び文書送付嘱託書について(回答)」と題する書面によれば、前記大蔵省銀行局長の昭和四八年一二月二五日付通達は、昭和四九年一二月二五日付で廃止され、それ以降公社に対する協調融資団からの融資が緩和されたことは認められるが、関係各証拠によれば、桐生及び西萱尾の各土地を取得した当時、公社は、前記のような厳しい資金状況のもとで苦慮し、公社債等の新たな資金調達の道を検討していたものであり、河内及び被告人井上においても、右のような情勢の変化は確実に予想できるものではなかったことが認められるから、右各土地取得後の右のような情勢の変化をもって前記認定を左右することはできない。

また、右検甲五九号証の添付資料写、押収してある金融経理関係重要文書綴一冊(前同押号の一七〇)のうちの滋賀県土地開発公社債昭和四九年度第一回一号総額引受契約証書によれば、公社は新たな資金調達の手段として、公社債の発行を計画し、昭和四九年一一月三〇日には総額三〇億円分を発行し、昭和五〇年二月にも同額の発行を予定していたこと、しかし、昭和四九年一一月発行分、昭和五〇年二月発行分のいずれについても、一五億円ずつをびわこニュータウン中央地区の造成工事費と西萱尾の土地取得費及び造成工事費にあてることとされていたにすぎないことが認められ、右土地売買代金総額が前記のとおり一七七億円余という高額であることからして、この程度の公社債の発行では前記認定の資金難を緩和することは到底できなかったものといい得るところである。

また、第一二九回公判調書中の証人高岸昇の供述部分、検甲六〇号証添付資料写(検甲六〇号証の二)、右金融経理関係重要文書綴一冊のうちの高岸昇起案の昭和四八年一一月二九日付「土地開発公社事業資金にかかる県借入金について」と題する書面によれば、公社は、以上の他にも、県土地開発基金の資金からの借入、琵琶湖総合開発特別措置法の施行に基づく融資、公営企業金融公庫からの借入について検討したことがあるけれども、県土地開発基金の資金からの借入については、滋賀県の総務部長に対して右資金から三億円借入することを求めはしたものの、その回答が得られず、琵琶湖総合開発特別措置法の融資金については、ほとんど滋賀県造林公社の資金に回されることとなるものとしてその借入を断念し、公営企業金融公庫資金については、公社が資金を必要としている事業では該当するものがないことなどからその借入を断念したことが認められ、右各資金調達はいずれも実現しなかったものである。

さらに、関係各証拠によれば、公社は、前記認定のような厳しい資金状況下で土地を買い取る方策として、被告人上田の発案により、桐生の土地を取得後日本住宅公団に転売することを計画し、昭和四九年四月ころ、同公団に対してその旨の申し入れをしたところ、同公団は、右土地の現地調査を二回にわたって行い、同年八月八日には右土地の鑑定評価を日本不動産研究所に依頼し、買い取り価格の交渉がまとまれば右土地を買い取ることができるという段階にまで至ったこと、しかし、同公団としては、右土地を買い取るためには、右依頼による鑑定評価書を得て、同公団理事会で価格交渉に入ってもよいという決定をし、その後、二社の鑑定評価書を得たうえ、右理事会で契約を締結することを承認するという決定をする手続が必要であったにもかかわらず、同年八月八日に依頼した鑑定に必要な資料を公社が提出しなかったため、鑑定評価書が作成されずに終り、したがって、同公団の手続はそれ以上には進まず、公社は、同公団と右土地についての価格交渉に入らないまま、同公団から右土地を買い受ける旨の確約を得られないうちに、右土地を取得したことが認められ、同公団への転売によって資金を得ようとした計画も結局不成功に終ったのであった。

五  背任に係る各件に対する被告人上田茂男の関与の態様について

弁護人は、背任に係る各土地を公社が取得するに際して、公社の方から被告人上田に対して各取得についての協力を依頼するなどしたものである旨主張しており、この主張は、公社の右各土地取得をめぐる同被告人の関与の態様が背任罪の共同正犯といえるようなものではない旨の主張と解されるので、この点について検討する。

1  真野谷口の件について

関係各証拠によれば、公社の前身である財団法人滋賀県開発公社及び財団法人大津市開発公社は、昭和四三年ころに有楽土地株式会社及び宏和興産株式会社から、びわこニュータウン中央地区内の土地を売主の要求価格より低い価格で取得したことがあったが、右各会社に対して右土地を売却した大和不動産株式会社の経営者である被告人上田は、この事実をその後公社に土地を売る際の駆け引きに利用しようと考え、昭和四八年八月中旬ないし九月中旬ころに、被告人井上らに対して、右のびわこニュータウン中央地区内の土地売却時の事情を持ち出し、右値下げ分が公社の債務として残っているから、これを真野谷口の土地等の土地を公社が買い取ることによって返済するように要求したこと、被告人上田は、この後、同年九月二九日ころから同年一一月七日ころまでの間に数回にわたり、被告人井上ら公社職員に対して真野谷口の土地を公社が買い取るよう要求し、被告人上田と懇意な関係にある滋賀県知事野崎欣一郎が右の要求の席に同席した際にはその賛同を得たこと、さらに、同年九月三日には、その経営する上田建設株式会社をして株式会社熊谷組から右土地を取得させたうえ、同年一〇月五日、これを飛島建設株式会社に売却し、公社職員らに対して、これを同会社から三・三平方メートル当り五万六〇〇〇円で買い取るよう指示したこと、河内及び被告人井上は、被告人上田の右要求を受けて、当初はちゅうちょしたものの野崎知事と懇意な関係にある被告人上田からの要求であり、右知事もこれに賛同していることから結局右要求に従うこととし、右土地取得のための手続を進めたことが認められる。

被告人上田は、第九八回、第九九回、第一〇〇回及び第一〇五回後半調書中の同被告人の供述部分において、真野谷口の土地については、同被告人が昭和四八年七月末ないし八月初旬ころに京都市の料亭稲垣において、被告人井上ら公社側から右土地を取得したいという申し入れがあったために、被告人上田はこれに応じて右土地取得に協力したにすぎない旨供述するが、関係各証拠によれば、被告人井上は、昭和四六年六月ころ、大津市助役兼財団法人大津市開発公社副理事長として在職中、右熊谷組からその所有(農地については仮登記権利者)する右土地を同公社で買い取ってくれるよう依頼されたので、同公社職員らに右土地について簡単に調査させたところ、右土地内に古墳が存在することなどから右土地の取得は控えた方がよいという報告を受けたため、その取得を見合わせたこと、昭和四八年七月末ないし八月初旬ころにおいても、右熊谷組が右土地の所有名義(農地は仮登記)を持っていたことが認められるから、真にそのころ公社の方から右土地を取得しようとしたのであれば、被告人井上としては、右調査報告で取得するのに不適当とされた点を公社職員に調査確認させてよいはずであるし、また、かつて同被告人が買い取りの依頼を受けたことがあり、依然として所有名義(農地は仮登記)を持っていた右熊谷組に公社から直接右土地を売ってくれるように依頼してよいはずであるにもかかわらず、右証拠によれば、右のような調査も右熊谷組への依頼もなされていないのみならず、河内及び被告人井上は、滋賀県の知事部局に対して執るべき手続を何ら執ることなく、右土地の正常な取引価格の算定及びそのために必要な調査を公社職員にさせることもないまま、右土地を公社に取得させていること、被告人上田は、すでに飛島建設株式会社に対して、右土地を同会社が買い取った後、すぐにこれを同会社から公社に売却し、そのために右売却代金の一〇パーセントを同会社の利益として取得させることを伝えてあったにもかかわらず、公社職員らに同会社に対する右土地の譲渡依頼のための文書を作成させ、同会社にこれを持参させたうえで、一度は同会社に右依頼を断らせて、その翌日再度の依頼によりその承諾をさせるという、いかにも公社が右土地の取得を自ら求めているかのような外観を呈する工作をしていることが認められ、これらの事実からすると、被告人上田の右供述を信用することはできない。

2  竜王岡屋の件について

関係各証拠によれば、被告人上田は、大宝建設株式会社から売却先を紹介してくれるように頼まれていた竜王岡屋の土地について、昭和四八年一〇月末ころから同年一一月一四日の間に数回にわたり、被告人井上ら公社職員に対してこれを公社が買い取るように要求し、右の要求の席に野崎知事が同席した際にはその賛同を得たこと、さらに、同年一一月一四日には、交徳興業株式会社に大宝建設株式会社から右土地を買い取らせ、そのころ、公社職員らに対して、右土地を交徳興業株式会社から三・三平方メートル当り二万五〇〇〇円で買い取るよう指示したこと、河内及び被告人井上は、右のような要求を受けて、真野谷口の件と同様の事情からこれに従うこととし、右土地取得のための手続を進めたこと、なお、被告人井上にとっては大宝建設株式会社の社長が自己の縁戚関係者であり、同会社から右土地に関する資金繰りが難しいからその売却先を紹介してくれるように同年四月ころから頼まれていたという事情もあったことが認められ、被告人上田は、第九九回公判調書中の同被告人の供述部分において、公社が竜王岡屋の土地の付近で土地の取得を希望していたので、昭和四八年九月二九日ころより後の日に、竜王岡屋の土地を取得するつもりはないかとの話を公社に持っていったところ、公社がこれに応じ、その希望に沿って右土地の取得がなされた旨供述するが、前記認定のとおり、被告人井上は、すでに同年四月ころから、右土地の売却先の紹介を頼まれていたのであるから、真に公社が右土地の取得を希望したのであれば、被告人上田から右土地の取得方を持ちかけられるまでもなく、大宝建設株式会社からこれを取得するための手続を進めていてよいはずであるのに、関係各証拠によれば、そのような手続は進められていなかったし、河内及び被告人井上は、滋賀県の知事部局に対して執るべき手続を何ら執ることなく、右土地の正常な取引価格の算定及びそのために必要な調査を公社職員にさせることもないまま、右土地を公社に取得させていること、被告人上田は、右土地を一旦交徳興業株式会社に買い取らせた後に公社に転売させることとして同会社にこれを買い取らせた(同会社が日本信託銀行株式会社に対して右土地の取得資金の融資依頼をした際にも、右土地を転売する予定であると説明している。)にもかかわらず、公社職員らに交徳興業株式会社に対する右土地の譲渡依頼を文書でさせたうえ、一度は同会社に右依頼を断らせて、その二日後にはその承諾をさせるという、真野谷口の件と同様の工作をしていることが認められ、これらの事実からすると、被告人上田の右供述を信用することはできない。

3  桐生の件について

関係各証拠によれば、被告人上田は、昭和四八年八月中旬ないし九月中旬ころ真野谷口の土地の買い取り要求をしたのと同じときに、被告人井上らに対して、びわこニュータウン中央地区内の土地売却時の値下げ分に関する前記の駆け引きの手段を用いながら、桐生の土地を公社が買い取るように要求したこと、この後、同年九月二九日ころから昭和四九年六月二五日ころまでの間に何回となく執ように、河内及び被告人井上ら公社職員に対して右土地の買い取りを要求し、野崎知事が右の要求の席に同席した際にはその賛同を得たこと、さらに、昭和四九年三月三〇日には、被告人上田が実質上経営する伊吹建設株式会社から東海土地建物株式会社に右土地を売却する旨約させたうえ、同年五月二四日ころに伊吹建設株式会社に株式会社大林組からこれを取得させ、公社職員らに対して、これを東海土地建物株式会社から三・三平方メートル当り六万六〇〇〇円で買い取るよう指示したこと、河内及び被告人井上は、右のような要求を受けて、資金状況等からこれを断ったり、その延期を求めたりなどしたものの、結局真野谷口の件と同様の事情からこれに従うこととし、右土地取得のための手続を進めたことが認められる。

被告人上田は、第九九回、第一〇一回、第一〇二回及び第一〇五回公判調書中の同被告人の供述部分において、桐生の土地は、昭和四八年九月ころから昭和四九年六月ころまでの間に何回にもわたって、公社の方から同被告人に対して、これを取得したいという申し入れがあり、同被告人は、この申し入れに沿って公社がこれを取得できるように協力したにすぎない旨供述するが、関係各証拠によれば、昭和四八年一二月二〇日ころに、被告人井上らは、河内の指示で、被告人上田に対して、桐生の土地等を取得した場合に公社が支払っていかなければならない金利を計算した表をもとに、ひっ迫してきた金融情勢のもとで公社の金利負担が過大となることを説明して、桐生の土地を取得することはできない旨申し入れたこと、昭和四九年一月中旬ころからは、公社の資金状況は前記認定のとおり極めて厳しいものとなったこと、そのため、同年四月ころからは、公社は被告人上田の発案により右土地を自ら開発するのではなく、日本住宅公団に転売するという公社の業務方法として極めて異例の手段をとることを計画していたこと、河内及び被告人井上は、滋賀県の知事部局に対して執るべき手続を執ることなく、右土地の正常な取引価格の算定及びそのために必要な十分な調査を公社職員にさせることもないまま、右土地を公社に取得させていること、被告人上田は、すでに東海土地建物株式会社に対して、右土地を同会社が買い取った後、すぐにこれを同会社から公社に売却し、そのために右売却代金の五パーセントを同会社の利益として取得させることを伝えてあったにもかかわらず、公社職員らに同会社に対する右土地の譲渡依頼のための文書を作成、送付させ、同会社にこれに対する断り状を出させ、公社職員らとの面談でも難色を示させたうえ、それから一か月に満たない間に承諾書を送付させるという真野谷口の件と同様の工作をしていることが認められ、これらの事実からすると、被告人上田の右供述を信用することはできない。

4  西萱尾の件について

関係各証拠によれば、被告人上田は、昭和四九年七月二〇日ころ、野崎知事同席のもとで公社職員らに対し、「びわこニュータウン中央地区において、すでに国立医科大学の設置が決まっており、野崎知事の決断で国体の主会場も同地区にもってくることになったが、そうなると、同被告人の経営する会社が同地区に持っている土地の価値が下がるので、西萱尾の土地を公社が買い取ったうえ、そのうちの約一〇万坪を値下がりする右土地と交換してもらいたい。残りの約二〇万坪は日本住宅公団に転売すればよい。」などと言って、公社が西萱尾の土地を取得するように要求し、野崎知事もその場で賛同の意思を示したこと、被告人上田は、この後同年九月初旬ころまでの間に数回にわたり、被告人井上ら公社職員に対して右土地の買い取りを要求したこと、さらに、同年七、八月ころには、前記上田建設株式会社、伊吹建設株式会社及びこれも自己の経営する大和不動産株式会社の三社をして有楽土地株式会社から右土地を取得させたうえ、これを東海土地建物株式会社及び飛栄産業株式会社に売却する交渉を進め、公社職員らに対して、当初これを日本レース株式会社から三・三平方メートル当り六万七〇〇〇円で取得する旨の売買予約を締結するように指示したが、その後、飛栄産業株式会社から三・三平方メートル当り五万九五〇〇円で買い取るよう指示したこと、河内及び被告人井上は、右のような要求を受けて、真野谷口の件と同様の事情からこれに従うこととし、右土地取得のための手続を進めたことが認められる。

以上の認定事実によれば、公社の背任に係る右各土地取得は、被告人上田が作った筋書に従ってことが運ばれているのであって、同被告人こそ判示各犯罪事実の実現に決定的な役割を果したものというべきであるから、その関与の態様は共謀共同正犯の成立を認めるに十分である。

六  河内義明及び被告人井上良平の任務違背についての被告人上田茂男の認識について

弁護人は、河内及び被告人井上がどのような任務違背をしているかにつき被告人上田には認識がなかった旨主張するので、この点について検討する。

1  まず、河内及び被告人井上が、公社用地課長に近傍類地の価格等を調査するなどして土地の正常な取引価格を算定させたうえ、右価格に従って公社に土地を取得させるべき任務があるにもかかわらず、右任務に背き、右調査及び算定をさせずに(桐生及び西萱尾の各件では右価格を把握するためには不十分な調査にとどまる。)、公社に背任に係る各土地を取得させた点の認識があったか否か検討するに、関係各証拠によれば、被告人上田は経験豊富な不動産業者であって、公社同様に土地の取得等を業務とする公的機関である日本住宅公団とも接触があったところ、同公団は不動産鑑定機関三社の不動産鑑定評価に基づく価格によって土地を取得することとしていること、右鑑定評価では近傍類地の価格等を調査するなどして正常な取引価格を算定するものであることが認められ、同被告人は、公社や公団のこのような価格決定方法の事情にも通じていると推認されるので、これらの認定事実からすると、被告人上田には右任務についての認識があったものと推認することができる。

つぎに、背任に係る各土地の価格が不当に高かったことを認識していたか否かについてみると、関係各証拠によれば、真野谷口の土地は、被告人上田が、昭和四五年三月にその実質上経営する伊吹建設株式会社から株式会社熊谷組に三・三平方メートル当り一万六二〇〇円程度の価格で売却させ、その後同会社によって造成がなされたわけでもないのに、昭和四八年九月に同会社に大きな利益を与えて同被告人の経営する上田建設株式会社に三・三平方メートル当り二万五〇〇〇円で買い受けさせ、さらに、これを飛島建設株式会社に売却し、同会社が転売価格の一〇パーセントの利益を得られるように三・三平方メートル当り五万六〇〇〇円の価格で公社に転売させたものであること、竜王岡屋の土地は、同被告人が、交徳興業株式会社に昭和四八年一一月一四日、大宝建設株式会社から三・三平方メートル当り一万八〇〇〇円で買い取らせ、その後何ら造成されることもないまま、それから間もない同年一一月二六日及び昭和四九年一月には公社に三・三平方メートル当り二万五〇〇〇円で売却させたこと、しかも同被告人は、大宝建設株式会社が不動産業者として地主等と価格交渉する経験も浅く、また、右一万八〇〇〇円の算定根拠をなした同会社の右土地に関する経費のうちには土地造成業者に対する請負契約を解除して支払った一億円内外の違約金分までも含まれていることを知っていたこと、桐生の土地は、同被告人が、昭和四七年一月に右伊吹建設株式会社から株式会社大林組に三・三平方メートル当り一万五〇〇〇円という程度の価格で売却させたものであり、同会社によって造成がなされたわけでもないのに、昭和四九年五月に右伊吹建設株式会社に三・三平方メートル当り二万五〇〇〇円で右大林組から取得させ、さらに、これを東海土地建物株式会社に売却し、同会社が転売価格の五パーセントの利益を得られるように三・三平方メートル当り六万六〇〇〇円の価格で公社に転売させたものであること、西萱尾の土地は、同被告人が、昭和四五、六年ころ、右伊吹建設株式会社及び前記大和不動産株式会社から京都レース株式会社等に三・三平方メートル当り一万九〇〇〇円から二万三〇〇〇円台という程度の価格で売却させたものであり、その後他社を経て大成道路株式会社が取得し、有楽土地株式会社に転売されており、この間何らの造成もなされていないのに、昭和四九年七、八月ころ、右上田建設株式会社、大和不動産株式会社及び伊吹建設株式会社の各社にいずれも三・三平方メートル当り三万五〇〇〇円で取得させ、さらに、東海土地建物株式会社及び飛栄産業株式会社にこれを売却し、右両会社が転売価格の五パーセントの利益を得られるように三・三平方メートル当り五万九五〇〇円の価格で公社に転売させたものであることが認められ、このように右各土地が何ら造成されることもないまま転売されてゆくうちにこれに与った右各会社に利益を得させながらその地価を上昇させていった経緯等を同被告人が熟知していたことに加えて、同被告人は前述のとおり経験豊富な不動産業者であることから、右各土地の近傍類地価格やこれら各土地の価格形成上の諸要素についても詳しいものと推認することができることも併せ考えると、被告人上田が、背任に係る各土地の公社への売買価格が不当に高いものであると認識していたものと認定するのが相当である。

この点につき、被告人上田は、捜査段階において、同被告人が経営する会社は、買手を見つけてから地主との土地の買い上げ交渉に着手するので必ずしも買手に約束した価格以下で地主から買い上げることができるとは限らず、しかも地主らに対して裏金を支払わなければならないことも多いのであって、これらの事情から、公社に売却する際の各土地の三・三平方メートル当りの原価が、真野谷口の土地については四万一〇〇〇円、桐生の土地については四万円、西萱尾の土地については五万一〇〇〇円となるのであり、したがって、公社に対する売買価格は不当に高いものではない旨供述しており(同被告人の検察官に対する昭和五一年七月五日付〔検丁八七号証〕、同月一三日付〔検丁八八号証〕、同月一五日付、同月一六日付〔検丁九二号証〕各供述調書)、たしかに関係各証拠によれば、前記伊吹建設株式会社及び大和不動産株式会社は、買手と売買契約を締結した後に地主から買い上げた土地が大部分を占めており、地主らに対して裏金を支払っていたことも認められはするけれども、第九五回公判調書中の同被告人の供述部分によれば、右各会社は右のような仕事の仕方に慣れている故に、買手に約束する売却価格は、その時点で推定できる地主からの買い上げ価格の三倍から五倍の価格をもって定め、このようにして将来の地価の値上がりに対処していたことが認められるので、このようにして決定された買手に対する売値が見通しを大きくはずれたために損害を被るという事態が生ずることは考えがたく、したがって、真野谷口、桐生及び西萱尾の各土地について右各会社が当初他に売却した際の前記認定の各価格を大幅に超える額をもって右各土地の原価であるとする被告人上田の右供述は信用することができない。

さらに、河内及び被告人井上が、公社用地課長に、近傍類地の価格等を調査させず(桐生及び西萱尾の条件では不十分な調査しかせず)、土地の正常な取引価格を算定させていない点の認識については、被告人上田の指示する公社の各取得価格が前記認定のとおり不当に高いものであるにもかかわらず、関係各証拠によれば、被告人井上はじめ公社職員らは、背任に係る各土地のそれぞれの売買契約に至るまで、それぞれの取得価格を定めるにあたり、被告人上田の要求する額について右のような調査及び算定の資料を示したうえで同被告人に価格の値下げを求めたことが一度もなかったことが認められるから、被告人上田はこの点についても認識していたものと認定するのが相当である。

2  つぎに、河内及び被告人井上が、桐生、西萱尾の土地を公社に取得させた際に、公社の資金状況が右各土地の取得を許容し得ないものであったことを認識していたか否かについて検討する。

関係各証拠によれば、被告人上田は、公社職員の堀茂和及び久泉正之らから、公社の資金状況が極めて厳しい旨の説明を受けて、昭和四九年一月下旬には、すでに契約していた真野谷口の土地及び竜王岡屋の土地のうちの一部(昭和四八年一一月二六日契約分)の残代金支払期日を延期することとし、昭和四九年四月ころには、桐生の土地を一旦公社に取得させはするが、すぐに日本住宅公団に転売させることを発案して、同公団との交渉を開始したこと、それにもかかわらず、右土地を公社に取得させた際には、公社が同公団から右土地を買い受ける旨の確約をいまだ得ていないことを知っていたこと、同被告人が同年八月一四日に右土地を東海土地建物株式会社から公社に売却させた契約書では、売買代金五七億円余りのうち、契約時に支払うべき金額はわずかに五億三〇〇〇万円であり、残代金については契約後約六か月を経た「昭和五〇年二月末日を支払い目標とするも支払日については売主買主協議のうえ決定するものとする。」とされていて、その代金支払についての定め方が異例のものであり、同被告人が西萱尾の土地を飛栄産業株式会社から公社に売却させた契約書でも、売買代金一七七億円余りのうち、契約直後に支払うべき金額はわずかに一〇億円であり、「残金は二年以内の分割支払いを原則として、売主買主協議のうえ、昭和四九年一二月二五日迄に支払方法を決定する。」とされていて、その代金支払についての定め方がこれまた異例のものであることが認められ、これらの事実からすると、被告人上田は、桐生及び西萱尾の各土地の取得を許容しない程に公社が厳しい資金状況にあることを認識していたものと推認することができる。

3  さらに、河内及び被告人井上が、滋賀県の知事部局との間で執るべき手続を執らないで、公社に背任に係る各土地を取得させた点の認識があったか否かについて検討するに、関係各証拠によれば、被告人井上らは、被告人上田から真野谷口及び桐生の各土地の買い取りを要求された当初においては、年度当初にたてた事業計画にない土地を公社は買うことができない旨同被告人に言っていることは認められるけれども、右証拠によれば、事業計画の変更手続を執れば年度当初の事業計画にない土地も買うことができる旨同被告人に説明しており、その後、この点にあまり言及しなくなったこと、昭和四八年一二月下旬ころ、公社総務部長の堀茂和が同被告人に対して、同被告人から買い取りの要求されている桐生の土地を公社が取得するには滋賀県知事の指示がいると言ったところ、同被告人は、同県副知事の舎夷成雄に対して、公社が右指示を受けられるように働きかけたこと、同被告人は背任に係る各土地を公社に取得させることについていずれも同県知事野崎欣一郎の賛同を得ていたことが認められ、これらの事実からすると、被告人上田としては、公社と県の知事部局との間では執るべき手続を然るべく整えて背任に係る各土地を取得したものと認識していたのではないかという合理的な疑いをさしはさむ余地があるので、河内及び被告人井上が右手続を執っていなかった点について被告人上田に認識があったものと認めることはできない。

(判示第二の収賄の争点に対する判断)

一  現金の授受について

弁護人は、判示第二の収賄の事実について、判示の現金の授受の事実はなかった旨主張し、被告人井上良平も、第一七回公判調書中の同被告人の供述部分において、その旨の供述をしているが、証人中野文敏に対する当裁判所の尋問調書(三通)によれば、同証人は、昭和四八年七月下旬ころ、あらかじめ自己が実質的に単独で経営する日本クリスター株式会社から自己が役員をする株式会社大興に対して、金額五〇〇万円の小切手を振り出しておき、同年八月二〇日に、同会社から金額三〇〇万円の小切手を受け取り、これを滋賀銀行県庁前支店に呈示して一万円札で現金三〇〇万円の支払を受け、一旦日本クリスター株式会社の事務所に帰って右現金をねずみ色の大封筒に入れ、同日の昼前ころに被告人井上に電話連絡して、間もなく判示第二記載の江の島ビル二階にあるプレジデントメンバーズクラブ事務所で同被告人と落ち合い、同所の応接セットに向い合って座り、かねてから同被告人に公社で買い取ってくれるように依頼していた判示第二記載の土地の件について、「早くお願いしたい。」と催促したうえ「お使い下さい。」と言いながら、右応接セットの机の上に右現金入りの大封筒を差し出すと、同被告人は、「いつもどうも。」と言ってこれを受け取り、二、三分雑談した後、同所から一緒に出て付近で間もなく別れた旨具体的かつ詳細に供述しているので、その信用性を他の証拠に照して吟味する。

中野が右供述のような経緯で同日、現金三〇〇万円を用意したことは証拠上明らかであるが、右現金授受の場所について、昭和五四年五月二五日施行の前記尋問調書によれば、中野は、前記のとおり、江の島ビル二階のプレジデントメンバーズクラブ事務所で被告人井上と会った旨、また同所に入る際ドアは施錠されていなかった旨述べているが、その当時、同所がプレジデントメンバーズクラブの理事長が経営する裕産業株式会社の大津支社の事務室として使われていたか否か、従ってプレジデントメンバーズクラブ事務所はその当時同ビル三階に置かれていたか否かについて供述が変転し、あるいは右二階事務室をプレジデントメンバーズクラブと裕産業株式会社が共同で使用していたかのようにも述べていて明確でなく、しかも中野は、捜査段階において、右現金授受の場所であるプレジデントメンバーズクラブ事務所が江の島ビルの三階にあったと述べたこともある(同人の司法警察員に対する昭和五〇年一〇月二五日付〔弁甲五一号証〕及び検察官に対する同月二六日付各供述調書写)ので、このような不明確さがたんに記憶の減退によるものとみることができるか、虚構によって生じたものとみるべきかについては検討を要するところ、第一五回公判調書中の増田三郎及び上山昌博の各供述部分によれば、プレジデントメンバーズクラブは、裕産業株式会社代表取締役杉田善彦を理事長、中野文敏を副理事長、増田三郎を事務局長とする会員制のクラブとして、昭和四七年一二月ころに発足し、右江の島ビルの二階にある事務室をその事務所としていたが、昭和四八年三月ころ裕産業株式会社が同所を大津支社として使用するようになったので、同年四月ころ、同所の真上に位置し同じくらいの広さの三階の事務室にアームチエア約一五脚とサイドテーブルを入れて、これらを部屋の中心を囲む形に置き、プレジデントメンバーズクラブの看板も同所に移したものの、その後、右クラブとして同所を使用することはなく、かえって、二階の右裕産業株式会社大津支所事務室に、プレジデントメンバーズクラブの電話等を置いたままであり、同所の備品も、机三個、カウンター(書類棚)及び応接セット等が置かれていて裕産業株式会社が入る前とほとんど変わらず、同社従業員として上山昌博一人が勤務していたが、留守番同然で、仕事らしい仕事はしてなかったこと、上山昌博は、同年六月三〇日ころに同所から裕産業株式会社山科本社に転勤となり、その際同所に施錠し、そのかぎを同会社代表取締役杉田善彦に渡したが、それ以降同所がどのように管理使用されているか知らないこと、増田三郎も、上山がいたころには、時々同所を訪れていたが、同人が転勤してからは、同所を訪れたことがなく、同所がどのように管理使用されているか知らないうえに、同所のかぎは増田三郎と杉田善彦の二人のみが持っていたものではないことが認められ、右認定のプレジデントメンバーズクラブ事務所の移転の経緯、その前後の各部屋の使用状況及び位置関係等からすると、現金を授受した場所が二階か三階かに記憶の混乱が生じても無理からぬところがあり、また同所のドアに施錠がされていなかったという前記中野供述も右認定事実と矛盾するものではなく、さらに中野は、捜査段階(同人の司法警察員に対する昭和五〇年一〇月二五日付〔弁甲五一号証〕、検察官に対する同月二六日付各供述調書写)から前記尋問調書における供述を通じ一貫して、現金を授受した部屋の備品状況につき事務机が二、三個、カウンター(書類棚)及び応接セット等があった旨供述しているので、場所の特定においても肝腎の点に供述の変遷はなく、この部屋が二階であったことは右認定事実に照しておのずから明らかである。

また関係各証拠によれば、中野は判示第二記載の土地を同被告人に頼んで公社に買い取ってもらったことにより多額の転売利益を得たことが認められ、にもかかわらず同被告人をおとしいれるような虚偽の供述をしなければならない理由はなんら認められない。

また、証人中野に対する当裁判所の昭和五三年五月三〇日施行の証人尋問調書によれば、同人は、昭和四八年八月二〇日に現金三〇〇万円を持って前記江の島ビル内のプレジデントメンバーズクラブ事務所に赴いたところまでは証言しながら、同所に赴いた用件とその後の出来事については、整理してみたいので次の機会にまわしてもらいたいと述べ、再三のすすめにもかかわらず以後の証言を拒んでいることが認められ、続く昭和五三年一〇月三日の証人尋問期日には出頭しなかったので、弁護人は右証言態度をもって信用性否定の一事由とするのであるが、中野がその後になした前記のような贈賄の証言は、従前事業上世話になり多額の利益をあげさせてもらった被告人井上に重大な不利益をもたらすものであり、かつまた、中野が滋賀県で事業活動を継続するうえでの障害になりかねない性質の事柄であって、証言に決断と時機を要するところであるから、同人が証言を逡巡、延引したことをもって必ずしも不自然、不合理ということはできない。

結局、全証拠を検討しても前記中野供述の信用性を疑わしめるにたりる事情は認められないので、右供述は信用することができる。

つぎに、被告人井上良平も、同被告人の検察官に対する昭和五〇年一一月一一日付、同月一六日付(検一一六号証)、同月一九日付及び司法警察員に対する同月一三日付、同月一六日付、同月一九日付各供述調書において、判示第二記載の現金授受の事実があった旨供述しているので、その信用性について以下に検討を加える。

右各供述調書によれば、同被告人は中野から受け取った一万円札三〇〇枚入りの大封筒を夏の背広の内ポケットにそこに入りやすい形にして押し込んだ旨供述しているので、果して背広の内ポケットに一万円札三〇〇枚入りの大封筒が入るか否かが問題であるけれども、第二二回及び第二三回公判調書中の証人小倉大藏の供述部分によれば、同被告人から右のような供述を得た警察官らもその点に疑問を持ちこれを解明すべく、一万円札三〇〇枚の厚みを銀行に問い合わせ、新聞紙を切ってその大きさ及び厚みのものを作り、これを封筒に入れて実験した結果、これが背広の内ポケットに入ることを確認できたことが認められる。また、同被告人は、右各供述調書において、中野から受け取った三〇〇万円の使途について、昭和四七年九月ころ同被告人が大津市長選挙に立候補した際に、選挙費用を立て替えてくれた山本佐藏に対して、昭和四八年八月下旬ないし九月初旬ころに、二〇〇万円を返済した旨供述しているが、第一四回公判調書中の証人山本佐藏の供述部分において、同証人は、同被告人が右の二〇〇万円の返済に来たのは、自分が大津市議会議長に在任中(すなわち昭和四八年四月まで)のことであり、その現金で石垣島の土地を購入するための手付金を支払っているが、その領収書の日付が同年二月一日である旨供述している。しかし、他方で、同証人は、警察官から取り調べられた際には、同被告人から右現金を受け取った時期について右議長在任中であることを強調した旨証言しながら、検察官に取り調べられた際には右議長在任中に支払を受けたことは述べなかったとか、警察官から取り調べられた際に作成された調書に「選挙が済んでかなり日がたってから支払を受けた」と記載されていたので「選挙が済んでしばらくして」という表現に訂正してもらったが、その際時期をより明確に限定する「大津市議会議長在任中」と書き加えることは申し立てなかったなどと証言しているのであり、さらに、被告人井上から返してもらった金の使途についても、石垣島の土地を購入したときの手付金二〇〇万円の領収書のコピーを最近発見し、その金額と日付から、これが同被告人から返してもらった金らしいと推測したにすぎない旨証言しているのであって、同被告人から右現金の返済を受けた時期に関して同証人の供述するところはこのように矛盾や憶測がうかがわれ、たやすく信用することができない。

他に同被告人の前記各供述調書中の現金授受の事実があった旨の供述の信用性を疑わしめるにたりる証拠はない。

以上の理由により、判示第二記載の現金授受の事実があったものと認めるのが相当である。

二  公訴棄却の申立について

弁護人は、(1) 中野文敏は違法な別件逮捕・勾留によって判示第二記載の事実を供述し、その供述調書をもとに被告人井上良平を逮捕・勾留して右事実を認める供述調書が作成されたものであるから、同被告人の収賄の起訴は、右違法捜査に基づく起訴として、また違法な手続のもとで作成されたものであるから証拠能力を認めることができない右供述調書をもとにした嫌疑のない起訴として、公訴を棄却すべきものであり、(2) 同被告人の右供述調書は、同被告人に対する違法な取調によって作成された任意性のないものであるから、同被告人の収賄の起訴は、右違法捜査に基づく起訴として、さらに、証拠能力のない右供述調書をもとにした嫌疑のない起訴として、公訴を棄却すべきものである旨主張するが、(2)の主張に理由がないことについては、すでに同被告人の供述調書採用に関する昭和五六年四月二日付決定書においてその判断が示されているところであるので、ここでは(1)の主張について検討する。

右主張中の違法な別件逮捕勾留とは、捜査官(滋賀県警察本部捜査第二課の担当警察官)が専ら中野文敏と被告人井上との間の贈収賄を捜査する目的で、嫌疑がなく犯罪の成立に疑問があるか、仮りにそうでなくともきわめて嫌疑が稀薄であって、当初から不起訴事案であることが明白な業務上横領ないし背任の被疑事実で中野を逮捕、勾留し、右逮捕前まら逮捕勾留期間を通じ同人に対して右贈収賄事件の自白を追及しつづけたというものであるが、関係各証拠によれば、中野文敏は、昭和五〇年一〇月一五日、同人が昭和四八年七月下旬ころに自己の経営する日本クリスター株式会社の販売利益金を後日自己のために費消する目的のもとに同会社代表取締役名義で金額五〇〇万円の小切手を株式会社大興の代表取締役岩見清仁に対して振出・交付したという趣旨の被疑事実によって業務上横領罪の罪名で逮捕され、昭和五〇年一〇月一七日、同趣旨の被疑事実によって背任罪の罪名で勾留され、勾留延長後、同年一〇月三〇日には釈放されたが、これに替って、同日、中野が昭和四八年八月二〇日ころに被告人井上良平に対して現金三〇〇万円を供与して贈賄した旨の被疑事実により逮捕されたこと、日本クリスター株式会社は、実質上中野が全額出資しているいわゆる一人会社であり、同人は、逮捕された当初からその旨の供述をしていたことが認められるが、このような一人会社の実体、すなわち実質上の株主が一人であることを重視して、右株主が自己のために右会社に債務を負担させることがあってもそのことが背任罪を構成することはないものと解する立場ももちろんありうるけれども、これは必ずしも判例学説上確立した考え方とまではいえず、実質上の株主と右会社とは法人格を異にし、したがって、そのことを信頼し右会社の責任財産を目当てにして右会社の取引に入る債権者がいることを重視して、右のような場合には背任罪が成立するものと解する立場もまたありうるし、第二五回公判調書中証人三田村八郎の供述部分によれば、中野の右業務上横領事件は滋賀県警察本部刑事部捜査第二課所属捜査員が公社に土地を売却した業者の実態調査をするなかで捜査の端緒をつかんだことが認められ、吉田みち枝の司法警察員に対する昭和五〇年一〇月二三日付供述調書写、中野文敏の司法警察員に対する同月一五日付、同月一六日付(二通)、同月二四日付(検甲四四六、四四八号証)、同月二五日付(検甲四四七号証)各供述調書写によれば、右背任被疑事実に基づく勾留期間中、昭和五〇年一〇月二三日には、日本クリスター株式会社の会計担当者吉田みち枝に対し、昭和四八年七月下旬ころには同会社が多額の負債をかかえていたことをはじめとして同会社の株主や資産等について取調がなされており、中野に対しても、昭和五〇年一〇月二四日には、犯行状況、同会社の株主等について、同月二五日には、同会社の資産等について、詳細な取調がなされ、背任の捜査が進められていたことが認められるうえ、右証拠によれば、中野は、業務上横領罪で逮捕された当初に、株式会社大興に金額五〇〇万円の小切手を振出・交付してから間もなく同会社から金額三〇〇万円の小切手を受け取り、これを現金化した旨供述したものの、この三〇〇万円の使途については同月二四日ころからこれを被告人井上に渡したという趣旨の前記贈賄の被疑事実に沿う供述をし始めたことが認められるが、右の使途は金額五〇〇万円の小切手を振り出した目的を推認するうえで重要な間接事実であり、背任罪の構成要件要素である図利目的の有無を明らかにするために取り調べる必要性があったものといえることからすると、前記の業務上横領被疑事実に基づく逮捕及び背任被疑事実に基づく勾留は右贈賄の取調を目的とした違法な別件逮捕・勾留には当らないものということができ、したがって、弁護人の(1)の主張も理由がなく、採用することができない。

(判示第三及び第四の法人税法、会社臨時特別税法各違反の争点に対する判断)

一  上田建設株式会社の真野谷口土地の売上高計上時期について

弁護人は、上田建設株式会社が昭和四八年一〇月五日に飛島建設株式会社に対して売却した大津市真野谷口町字下長谷四四番所在の山林外一一二筆公簿面積合計六万九三二〇坪の土地(以下「真野谷口土地」という。)について、(1) 実質上法人税法六二条にいうたな卸資産の割賦販売に相当するものであり、(2) 右土地のうちの一部は農地であり、その譲渡について昭和四九年四月三〇日現在において、いまだ農地法上の許可が得られていなかったのであるから、昭和四八年五月一日から昭和四九年四月三〇日までの上田建設株式会社の事業年度(以下「四九年四月期」という。)には売上として計上しなければならないものではない旨主張する。

そこで、まず、(1)の点について検討すると、法人税法二二条二項は、原則として、収益が実現した時点の属する事業年度において法人の収益を計上すべきものとする趣旨の規定であり、土地の販売による収益については、右時点は原則としてその引渡のときであるものと解されるところ、同法は、六二条において、「月賦、年賦その他の賦払の方法により対価の支払を受けることを定型的に定めた約款に基づき行われる」たな卸資産の割賦販売について特例を定め、さらに、六三条において、このような約款によらず、個別的に所定の延払条件付で資産の譲渡をした場合についても特例を認める旨定め、それぞれ、各賦払金の支払期日が到来する事業年度において所定の収益の額を計上することができるものとしている(同法施行令一一九条、一二四条)。

しかしながら、右のいずれの場合についても、それぞれ所定の割賦基準の方法、延払基準の方法により経理することが必要で、これらの方法により経理しなかった場合には、右各特例を認めないこととされているのであり、これを真野谷口土地の関係についてみると、関係各証拠によれば、昭和四八年一〇月五日に上田建設株式会社は飛島建設株式会社に対して右土地を売却したが、その際には、その代金の支払方法は、昭和四九年四月末日から昭和五一年三月末日まで毎月末日に最終回を除いて同額を支払うというものであり(各金額は、具体的に定まっていた。)、昭和四八年一〇月一一日には右土地について右売買契約に基づく所有権移転登記(農地については所有権移転請求権移転の附記登記)が経由され、同月三〇日ころ、右売買代金が増額改訂されたが、その支払方法は右と同旨であり、同年一二月一九日、再び右売買代金が増額改訂されて、同日一〇億円、同月二八日一五億円、昭和四九年一月末日三億五六〇五万五〇〇〇円、同年四月末日五七〇〇万円、同年五月末日から昭和五一年三月末日まで毎月末各四一〇〇万円を支払うこととされ、その後、右約定に基づき二五億円の支払がなされ、昭和四九年二月五日、その残代金についての支払方法が変更されて、同年一〇月三一日三億五六〇五万五〇〇〇円、同年一一月末日から昭和五一年九月三〇日まで毎月末各四一〇〇万円、同年一〇月三一日五七〇〇万円を支払うこととなったことが認められ、これらの認定事実からすると、右各支払方法の定めは、当事者が個別に話し合って決められたもので、定型的に定めた約款に基づくものということはできないから、右割賦販売には該当しないが、延払条件付譲渡について定めた同法六三条二項、同法施行令一二六条所定の要件をみたすものということはできるけれども、右証拠によれば、上田建設株式会社においては真野谷口土地の譲渡について延払基準の方法により経理してはいないことが認められるから、延払条件付譲渡の特例を適用することはできず、結局、その引渡のあったときの属する事業年度にその収益を計上すべきものである。

次に、(2)の点について検討すると、たしかに、農地の売買契約は、農地法上の許可をその効力発生のための法定条件として成立するものであるから(農地法三条、五条)、右契約による収益が実現するのは右許可のあったときであるものと解して、その時点の属する事業年度にその収益を計上することも可能であるけれども、これと異なり右売買契約(売買の予約である場合もある。)の後いまだ右許可を受けていない状態で転売される場合には、右契約上の権利が譲渡されることになるのであるから、右転売による収益が実現するのは、その引渡のときであるものと解されるところ、関係各証拠によれば、真野谷口土地の一部は農地であるものの、上田建設株式会社が飛島建設株式会社にこれを譲渡したのは、右の転売の場合に該当することが認められるから、その引渡のときの属する事業年度にその収益の計上をすべきものである。

以上の理由により、上田建設株式会社の真野谷口土地の譲渡については、前記各登記の申請をした昭和四八年一〇月一一日にその引渡があったものとして、四九年四月期に右土地の売上を計上すべきであり、その売上高は、押収してある大津市真野谷口町不動産売買契約変更契約書等綴一綴(前同押号の五一)のうちの上田建設株式会社・飛島建設株式会社間の昭和四八年一二月一九日付不動産売買契約変更契約書により三八億五六〇五万五〇〇〇円であることが認められる。

なお、弁護人は、検察官は、一方で、被告人上田らが真野谷口土地を上田建設株式会社から飛島建設株式会社に転売させ、次いで公社に取得させた行為が背任罪に該当するとして公訴を提起しながら、他方で、上田建設株式会社が同土地の右販売を四九年四月期の売上として計上しなかったことにつき同被告人を法人税法違反の罪に該当するとして公訴を提起しているけれども、かりに右背任罪が成立するとすると、上田建設株式会社から飛島建設株式会社に対する右土地の売買契約は、背任罪を構成する不法な行為の中に包含されていることになるから、無効であり、したがって、右土地の販売を売上に計上しなかった点をほ脱行為と認めることはできない旨主張するけれども、右背任の訴因について、背任の構成要件に該当することが証拠上認められる行為は、判示第一の一記載のとおりであって、上田建設株式会社から飛島建設株式会社に対する右土地の売買契約はこれに該当するとは認められないから、弁護人の主張を採用することはできない。

二  上田建設株式会社の南庄家田土地の売上高計上時期について

弁護人は、上田建設株式会社が昭和四八年八月一〇日に株式会社大林組に対して売却した大津市伊香立南庄町字大平五四〇番所在の山林外七五筆公簿面積合計二万六三五一坪の土地(以下「南庄家田土地」という。)について、右土地の一部は農地であり、その譲渡について昭和四九年四月三〇日現在において、いまだ農地法上の許可が得られていなかったのであるから、四九年四月期には売上として計上しなければならないものではない旨主張するが、関係各証拠によれば右主張の事実関係は認められるものの、右農地については真野谷口土地と同様これを転売したものであり、昭和四八年八月一〇日ころ、右売買契約に基づく所有権移転登記(農地については所有権移転請求権仮登記)の申請がなされたことが認められるから、南庄家田土地の譲渡についても、真野谷口土地に関するのと同様の理由により、右申請をしたときにその引渡があったものとして、四九年四月期にその売上を計上すべきであり、その売上高は、押収してある上田建設株式会社・株式会社大林組間の昭和四八年八月一〇日付不動産売買契約証書一通(前同押号の一一六)及び同日付確認書一通(同号の一一七)、稟議書一綴(同号の一四二)により六億三二四二万四〇〇〇円であることが認められる。

三  上田建設株式会社の南庄家田土地の製品売上原価について

検察官は、南庄家田土地及びその周辺の土地の売上高に対する原価となるべき、同会社の総勘定元帳の未成工事支出金勘定の右土地に関する金額中、振替伝票等を調査しても支出先の判明しない使途不明金が一〇億九九八万六九五〇円にものぼるところ、右のうち

昭和四七年一二月三〇日 二〇〇〇万円

昭和四八年一月三〇日 一二〇〇万円

同年二月二八日 四五五〇万円

同年四月二七日 二六五〇万円

同年五月三〇日 六五〇万円

同年六月三〇日 一八五〇万円

同年七月三〇日 四五〇万円

同年八月三一日 四四二〇万円

同年一〇月三一日 一九〇〇万円

同年二月三〇日 四五〇〇万円

同年一二月三〇日 一一〇〇万円

昭和四九年一月三一日 一二〇〇万円

同年二月二八日 二〇〇〇万円

同年三月三〇日 二〇五〇万円

同年四月三〇日 四二五〇万円

の合計三億四七七〇万円については、対応する振替伝票の相手方勘定科目(貸方)がいずれも社長借入金とされていて、その資金源も明らかでなく、架空の経費の計上である旨主張する。

これに対し、弁護人は、南庄家田土地及びその周辺の土地のように広大な土地を多数の所有者からまとめて買い上げようとする場合には、地主や地域の有力者、世話役等にいわゆる裏金を出す必要があり、右三億四七七〇万円もすべて裏金として現に支払われたものであるから経費として認められるべきである旨主張し、第八回公判調書中の被告人上田茂男の供述部分、第六四回公判調書中の証人大住正次の供述部分において、同被告人及び同証人はこれに沿う供述をしている。

そこで、この点について検討すると、第六一回公判調書中の証人渡辺芳春の供述部分、第六三回ないし第六七回公判調書中の証人大住正次の供述部分、渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月二九日付供述調書、大住正次の検察官に対する同月二一日付供述調書、押収してある上田建設株式会社振替伝票綴一七綴(前同押号の一二〇及び一四一、昭和五六年押二三号の一ないし三)、上田建設株式会社第一八期総勘定元帳一綴(昭和五二年押七五号の一二二)、上田建設株式会社第一九期総勘定元帳一綴(同号の一二三)によれば、右三億四七七〇万円については、いずれも振替伝票に借方科目未成工事支出金、貸方科目借入金、摘要欄に社長よりと記載されていること、右振替伝票は、当時上田建設株式会社、大和不動産株式会社及び伊吹建設株式会社等の土地の買収を一手に担当していた上田市之進のメモに基づき、上田建設株式会社経理部長の大住正次が毎決算期末にまとめて記載していたものであり、経理担当者に支払の事実が知らされることはなかったこと、そのため経理担当の渡辺芳春は税務調査の際に困るのではないかと大住に質したところ、同人が「社長(被告人上田を指す。)が税務署に説明することになっているからよい。」と答えたことがあったこと、渡辺は、社長借入金の全額がそのまま未成工事支出金として処理されている、毎決算期末に一括して計上されている、会社の資金の支払として処理されるべきであるのに一切経理を通していない、多くが数千万、数百万単位の端数のない金額であるなどの事情から、社長借入金を相手方科目とする未成工事支出金勘定は架空の原価の計上だと思っていたことを認めることができ、さらに、検察官及び弁護人作成の合意書面によれば、上田建設株式会社が四九年四月期末までに買収した南庄家田土地及びその周辺土地の契約書上の売買代金総額二三億五五五万二九〇〇円に対する、圧縮額の合計一億二九八三万九四〇〇円と使途不明金一〇億九九八万六九五〇円との合計一一億三九八二万六三五〇円の割合は、四九・四パーセントもの高率になることが認められ、裏金の比率としては多過ぎる数値と感じられるし、南庄家田土地関係の地主のうちで検察官主張の額を上回る裏金を受け取った旨書証をもとに明確に供述するのは東悟一名にとどまる(第五八回公判調書中の証人東悟の供述部分、上田建設株式会社・東悟外一名間の覚書謄本)。

しかしながら、土地の買収のために、所有者や地域の有力者等に対し裏金が支払われることはままあることであり、南庄家田土地につき現に裏金が支払われていることは証拠上も明らかであるが、その性質上領収書等の授受がなされないことも多く、当時者が口を閉ざすことも想像するにかたくなく、右合意書面と右証人東悟の供述部分、第五一回公判調書中の証人龍一之進及び同塚本壽雄の各供述部分、鈴鹿一夫、倉田勘十郎及び塚本壽雄ら南庄家田土地関係の各売主等の各供述調書を照合すると、裏金の額はその多くが契約売買代金の二割前後であるが、鈴鹿、倉田及び塚本らに関しては五割を超えていることが明らかであり、さらに被告人上田が支払ったとされる裏金の資金源とその量につきこれを否定しうるだけの根拠もなく、検察官の認める東誠造ほか二一名に対する合計一億二九八三万九四〇〇円以外に四九年四月期末までに支払われた裏金が全くないとする十分な証拠は存在しないのであるから、右三億四七七〇万円に関しその全額が架空計上であるとの検察官の主張は証明不十分であり、また、そのうちの定額で表示できる一部に架空計上があるという証明もなく、その結果として右三億四七七〇万円の全額を南庄家田土地及びその周辺の土地買収のために裏金として現実に支払われた経費と認めることとする。

そして、法人税法二二条三項一号は、「当該事業年度の収益に係る売上原価」の額を当該事業年度の損金の額に算入すべきものとして、売上原価について費用収益対応の原則を定めているところ、関係各証拠によれば、南庄家田土地及びその周辺の土地については、上田建設株式会社の昭和四七年五月一日から昭和四八年四月三〇日までの事業年度(以下「四八年四月期」という。)に属する昭和四八年三月二〇日ころに株式会社大林組に引き渡された四八年四月期売却分、昭和四八年八月一〇日ころ同会社に引き渡された四九年四月期売却分(南庄家田土地)及び上田建設株式会社が地主から買い上げたまま保有していた残土地分があることが認められるものの、右合意書面によれば、右裏金を含む前記使途不明金は、別紙5南庄家田土地経費明細記載の「買入経費」及び「仕入費用」とともにいずれの土地に対応する経費なのか不分明であるから、右合意書面により認められるこれら合計額一〇億三二四七万二九二円を、四八年四月期売却分、四九年四月期売却分及び残土地分にその坪数に応じて按分配賦することとすると、右合意書面により認められる同別紙記載の各数値から、四九年四月期売却分には同別紙記載のとおり、一億二六三七万三一五九円が配賦され、これと右合意書面により明らかな四九年四月期売却分についての契約書上の買入額及び圧縮額とを合算すれば、同期売却分すなわち南庄家田土地の製品売上原価は合計四億二一六一万七二五九円となる。

四  上田建設株式会社の受取利息について

弁護人は、上田建設株式会社の受取利息五六三四万五二〇二円が受取利息勘定に区分経理されなかったのは、同会社経理部長大住正次が同会社経理課長渡辺芳春に対してなした指示が不十分であったために生じた事務上のミスに過ぎず、犯意は存しない旨主張するので、この点について検討する。

関係各証拠によれば、右受取利息は、南庄家田土地及びその周辺の前記四八年四月期売却分の各売買代金の延払利息であるが、昭和四八年六月二〇日から昭和四九年四月一〇日までの間一〇回にわたり総額五六三四万五二〇二円がその支払のために振り出された各手形の決済により収益として実現したことが認められるから、四九年四月期に受取利息として右金額を計上すべきものである。

ところで、関係各証拠によれば、南庄家田土地及びその周辺の土地の売買に関し、上田建設株式会社の第一八期総勘定元帳には昭和四八年三月二〇日に同会社の第一九期総勘定元帳には同年八月一〇日に、いずれも売買代金と延払利息とを含めた金額が未成工事受入金勘定に計上されているところ、経理部長大住正次は、延払利息は売買代金とは別個に受取利息勘定に計上すべきであると考えていたことが認められるから、二期にわたって同じ計上ミスをしたものとは考えられないことに加えて、前記被告人上田茂男、証人渡辺芳春及び同大住正次の各供述部分、第五九回及び第六〇回公判調書中の証人千足幸司の供述部分、被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年六月二五日付、同月二八日付各供述調書謄本、渡辺芳春の検察官に対する供述調書七通、大住正次の検察官に対する同月九日付、同月一〇日付、同月二七日付各供述調書によれば、上田建設株式会社、大和不動産株式会社及び伊吹建設株式会社はいずれも被告人上田が設立した会社で、同被告人が右三社の株式をいずれも一〇〇パーセント有しており、本件当時上田建設株式会社及び大和不動産株式会社の代表取締役は同被告人であり、伊吹建設株式会社にあっては同被告人のいとこである上田市之進が代表取締役となっていたこと、右三社は一応独立の法人として経理手続は各社別個に行われていたが、その日常業務はいずれも当時の上田建設株式会社の京都支店において主に行われており、役員や従業員は右三社のいずれの業務をも担当していたのであって、営業活動上は三社の明確な区分はなかったこと、右三社とも経営の実権を掌握していたのは同被告人で、営業取引上の最終決定権を一手に握っていて、伊吹建設株式会社の代表取締役となっていた上田市之進でさえ、同被告人の意に反して権限を行使することはできなかったこと、同被告人は三社の小切手の振出を他に委ねたことはなく、経理部長大住正次が金額等必要事項を記した小切手に必ず自ら届出印を押捺していたもので、日常必要な少額の経費を除き、右三社の資金の支出はすべて同被告人が把握し、その許否を決定していたこと、決算手続きにあたっては、主として経理課長渡辺芳春が記帳した総勘定元帳中の未成工事受入金及び同支出金勘定の写などをもとに大住が同被告人と相談のうえ当期に売上として計上すべき取引と売上高、これに対応する売上原価の額を決定したうえこれを渡辺に指示し、同人がこれに従い決算案及び確定申告書を作成し、これらを大住が、時に渡辺を伴い、同被告人のところに持参して内容の概略を説明したうえ、同被告人の決裁を得でいたこと、そして上田建設株式会社の四九年四月期及び大和不動産株式会社の昭和四八年一〇月一日から昭和四九年九月三〇日までの事業年度(以下「四九年九月期」という。)の各決算手続及び確定申告書作成の経過も右と同様であったことが認められ、これらの事実からすると、同被告人が右受取利息についての収益の計上を繰り延べるように大住に指示したものであり、同被告人にはその犯意があったものと認定することができる。

五  上田建設株式会社の向日町土地の売上高及び製品売上原価、固定資産売却益並びに買換資産繰入損について

検察官は、上田建設株式会社がモリカワ商事株式会社に対し、昭和四七年一一月三〇日に売却した、たな卸資産である京都府向日市寺戸町笹屋三九番所在の宅地外二六筆公簿面積合計三二五七・六坪の土地(以下「向日町土地」という。)については、同年一二月三〇日代金完済と引換にその引渡がなされたものであるから、四八年四月期において売上として計上すべきであるのに、上田建設株式会社は、四八年四月期には向日町土地の引渡が未了であるとして売上に計上せず未成工事受入金として処理して売上を繰り延べたうえ、同期末において右土地につきたな卸資産としての未成工事支出金勘定から固定資産勘定である土地勘定に振り替え、ついで四九年四月期において右土地の引渡が完了したとして、そのうち一五〇二・七三坪については固定資産の売却として固定資産売却益二億五二一七万七二〇八円を、その余についてはたな卸資産の売却として売上高三億七八一七万四〇〇〇円及び製品売上原価五一二四万六三二六円をそれぞれ計上するとともに、右固定資産売却分につき、京都市左京区に建設中であった同会社の事務所用のビル(以下「京都ビル」という。)が翌事業年度内に完成引渡を受けてその事業の用に供される見込であるとして租税特別措置法にいう特定の資産の譲渡に伴い特別勘定を設けた場合の課税の特例により圧縮記帳を行い、特別勘定である買換資産繰入損勘定に二億五一九八万円を計上して損金処理したものであって、したがって、右固定資産売却益、売上高及び製品売上原価はいずれも四九年四月期に計上すべきではなく、また右買換資産繰入損についてもその要件を欠くので否認すべきである旨主張し、これに対して弁護人は、向日町土地の現実の引渡は昭和四八年七月に完了したので、経理部長大住はこれによって売上が実現したものと判断して四九年四月期にその売上及び売上原価を計上したのであるから、これを故意に繰り延べたものではなく、また、右土地には上田建設株式会社の現場事務所建物等があり、右建物等はもともと固定資産勘定に経理されてきており、その敷地部分も本来は固定資産としての土地勘定で処理されるべきものであるから、そのように修正処理したのは正当であって、決して仮装ではなく、したがって、右圧縮記帳の買換資産繰入損の処理も正当である旨主張する。

そこで、この点について検討すると、第五八回公判調書中の証人谷口喜良の供述部分、第五二回ないし第五四回公判調書中の証人森茂生の供述部分、前記証人千足幸司及び同大住正次の各供述部分、押収してある上田建設株式会社・モリカワ商事株式会社間の昭和四七年一一月三〇日付不動産売買契約書一通(前同押号の一一九)、モリカワ商事株式会社より上田建設株式会社あての同日付念書一通(昭和五六年押二三号の五)、上田建設株式会社昭和四九年四月分振替伝票綴一綴(昭和五二年押七五号の一二〇)、上田建設株式会社固定資産台帳一綴(同号の一三七)、上田建設株式会社第一五期(一綴。同号の一三八)、第一六期(一綴。同号の一三九)、第一八期(一綴。同号の一二二)及び第一九期(一綴。同号の一二三)各総勘定元帳、上田建設株式会社決算書類綴一綴(同号の一三二)によれば、向日町土地を含む付近一帯の土地は、上田建設株式会社が宅地造成したうえ以前からいわゆる建売住宅として四九年四月期に至るまで販売を続けてきたもので、向日町土地は右付近の土地と同様に宅地造成がなされており、これと一体となって数区画からなる住宅団地を構成し、向日町土地の大部分は右団地への進入路に最も近い部分を占めていること、向日町土地の上には、現場事務所、倉庫、管理人用宿舎、大工小屋等の建物があって、建売住宅の建築、販売管理等事業用に使用されており、また機械類や材料の置場となっていた部分もあって、右各建物の敷地部分や材料置場の占める部分は向日町土地の四〇パーセント余りであったが、右各建物は、ごく一部を除きいずれもプレハブ様の簡易な建物で、容易に撤去が可能であったこと、右建物のうち少なくとも現場事務所及び管理人用宿舎については固定資産として経理処理していたが、向日町土地については四八年四月期末に至るまで未成工事支出金勘定で処理していたこと、本件売買は、被告人上田が、森茂生に対し、向日町土地を一括して買ってくれるところがあったら売ってもよい旨述べて、右土地の売買の仲介を依頼したことから、森と、買い受けを望んだモリカワ商事株式会社の担当者である谷口喜良専務とが交渉を重ねて話がまとまり、昭和四七年一一月三〇日契約書に調印することになったこと、同日調印された前記同日付不動産売買契約書には、第二条「売買代金には買主が売主に指定した宅地造成工事および建物布基礎工事代金を含む。」及び第五条「売買物件の所有権は、前条の所有権移転登記申請の手続きにかかわりなく宅地造成および建物布基礎の工事完了をもって移転することを売主、買主共に確認する。」という条項が入れられているが、向日町土地はすでに宅地造成がなされていて工事が必要な状態ではなく、また買主から宅地造成、建物布基礎工事を望んだ事実もないのに、同被告人が右両条項を契約書に盛り込むよう森に対し要求した結果、右契約条項ができたものであり、モリカワ商事株式会社側では右両条項とも実質的な効力をもつものではないと認識していたこと、ただ同会社としては購入した右土地を分譲宅地あるいは建売住宅として直ちに販売活動に入りたい意向であったため、右約定がその障害とならないよう、代金完済と同時に所有権が移転する旨記載した一札を上田建設株式会社からもらいたいと森に申し入れたが断られ、結局同人の指示によりモリカワ商事株式会社から上田建設株式会社にあてた念書を差し入れることになったこと、前記昭和四七年一一月三〇日付念書は、同日付不動産売買契約書に調印した際、森が起案して持参した用紙にモリカワ商事株式会社の担当者谷口喜良が記名押印して上田建設株式会社の千足幸司に渡したものであり、右調印の場には同被告人も臨席していたこと、右念書には、売買代金には宅地造成工事、建物布基礎工事は含まれておらず、上田建設株式会社の工事負担が一切ない現状有姿のままの取引であることを確認する旨、及びモリカワ商事株式会社側では売買代金受渡と同時に売買物件の所有権を取得したとの帳簿処理をする旨記載されていること、なお右不動産売買契約書の第一〇条には、「売買物件上の建物及び構築物については、売主において徹(原文のまま。)去することができる。但し、売主において特別の申出のあるものを除き昭和四八年六月末日までに残存せる建物及び構築物は買主において使用収益することができる。」という条項が記載されているが、売買物件の引渡期限を同日とする旨の条項は右契約書に存在しないこと、そして、昭和四七年一二月三〇日、モリカワ商事株式会社は残代金を支払って売買代金を完済し、同時に上田建設株式会社から登記手続きの必要書類の交付を受け、翌昭和四八年一月中に所有権移転登記を経由したうえ、ただちに販売活動に入り、同年二月には最初の売上が出たこと、ところで、上田建設株式会社では、向日町土地の売買契約にあたり、京都ビルを建設することがすでに決っていたことから、右土地売却につき前記租税特別措置法による圧縮記帳ができるとの判断のもとに右売買契約の締結に踏み切ったものであるが、京都ビルについては昭和四八年四月二七日手付金一億円を支払って建設工事を請け負わせたこと、また四八年四月期末には、上田建設株式会社は、向日町土地の売却の原価となるべき未成工事支出金勘定の九二三二万四四五円を、右土地上にあった前記各建物等の敷地部分か否かを区別することなく一括して固定資産たる土地勘定に振り替えたこと、その頃、右各建物等のうち現場事務所はモリカワ商事株式会社に譲渡され、また管理人夫婦の居住する居宅はなお残っていたが、その余の建物や機械類、材料等はすでに収去されていたこと、そして上田建設株式会社は、四九年四月期において、右土地勘定に振り替えたうちの帳簿価格四一〇七万四一一九円の土地及び帳簿価格九万四六七三円の右現場事務所建物を、代金二億九三三四万六〇〇〇円で売却したとして固定資産売却益二億五二一七万七二〇八円を計上し、これについては昭和四九年六月に京都ビル及び同ビルに使用する什器備品を取得する予定として圧縮記帳を行い、買換資産繰入損勘定を起して二億五一九八万円を計上して損金処理をなし、また向日町土地の売買代金六億七一五二万円と右固定資産売却代金二億九三三四万六〇〇〇円との差額三億七八一七万四〇〇〇円を売上高に計上するとともに、その製品売上原価として五一二四万六三二六円を計上したことが認められる。

以上によれば、向日町土地の売買は、代金完済と引換に登記必要書類が売主から買主に交付されるとともに右土地の引渡が完了するものであることを当事者及び仲介人が十分に認識していたものであって、そのとおりの契約内容であったと解すべきであるが、右不動産売買契約書の第二条及び第五条は、同被告人が向日町土地の売買に関して前記圧縮記帳の適用を受けるため、右土地の所有権移転時期を、全く行う意思のない宅地造成工事等の完了の時とすることにより、代金が完済され所有権移転登記が終ってもなお引渡が完了していないように仮装した契約条項であって、何らの効力も生じないと言うべきであり、また、右契約書第一〇条については、契約前後の事情からも文理上からも単に建物等の撤去のための猶予期間を定めたにすぎないと解するのが相当であり、同条を売買物件の引渡期限を定めたものと解する余地はなく、したがって、本件売買については、代金が完済され、登記手続用書類が買主に受け渡された昭和四七年一二月三〇日に引渡が完了したものであって、四八年四月期においてその収益を売上として計上しなければならなかったといわなければならない。そして、そうである以上、仮に弁護人主張の建物敷地部分等が固定資産であるとしても(この点については、向日町土地が、当初はその周辺土地と同様のたな卸資産であったこと、これらが一体の団地となるよう宅地造成されており、売買契約当時にもその一体性を失っていなかったこと、向日町土地の大部分が右団地の入口部分にあたること、地上建物は、いずれも建売住宅の建築、販売管理等事業用に使用されていたこと、そのほとんどが簡易なプレハブ様の物であったことに照らせば、建売用の商品たる土地のうち、さしあたり直ちに住宅を建築して販売する予定のない遊休部分に、一時的に建物等を建ててこれらを事業の用に供していたと見るのが相当であり、右建物敷地部分等もなおたな卸資産であったと解すべきである。)、翌事業年度以降に取得予定の資産に関し、右圧縮記帳をするためには、四八年四月期において所定の経理処理をすべきところ、上田建設株式会社が同期において右経理処理をしていないことは証拠上明らかであり、したがって、向日町土地の売却については右圧縮記帳の要件を欠くものといわなければならない。

以上のとおり、向日町土地の売買については、四九年四月期に計上された固定資産売却益二億五二一七万七二〇八円及び売上高三億七八一七万四〇〇〇円を減額し、製品売上原価五一二四万六三二六円及び買換資産繰入損二億五一九八万円を否認しなければならない。

六  上田建設株式会社の債務免除益について

弁護人は、上田建設株式会社が株式会社青木建設に対して負担する、京都市右京区大枝沓掛所在の仏舎利苑墓地造成工事請負代金債務の未払金一八九二万円については、四九年四月期中に同会社から債務免除の通知がなされてはいないから、同期において債務免除益として右金額を計上できるはずはない旨主張するので、この点について検討すると、前記証人大住正次の供述部分、前記上田建設株式会社決算書類綴一綴及び第一八期総勘定元帳一綴、丸尾哲夫の検察官に対する供述調書によれば、仏舎利苑墓地造成工事は昭和四五年に完成し直ちに上田建設株式会社に引き渡されたが、その時点で、請負代金総額二億八〇〇〇万円のうち一八九二万円が未払の状態であったこと、昭和四八年三月下旬に株式会社青木建設大阪支店事務部長となった丸尾哲夫は、長期間未収となっている右請負代金について解決をはかるため、この点を調査したところ、右未収金については、上田建設株式会社側では完成有効面積が設計より減っている関係もあって支払ってくれそうにないという話であり、また、右工事については請負代金三〇〇〇万円の追加工事が契約されたが、契約書を作成しなかったため株式会社青木建設側は帳簿に計上していなかったところ、右追加工事分についても未収であることが判明したこと、そこで、同人は、同会社では右一八九二万円及び三〇〇〇万円の上田建設株式会社に対する各未収金残高があるが、これに違いないかどうか照合して回答されたい旨同会社に求めた残高確認依頼書を作成して、昭和四八年五月一四日ころ、これを同会社事務所に持参し、当時同会社の総務部長であった榎本正次に事情を説明したうえ回答を求めたこと、しかし、同会社からの回答がなかったため、丸尾は榎本に一、二度催促したが、結局回答を得られなかったこと、そのため丸尾は同会社に右各未払金を支払う意思がないものと考え、帳簿上残高のある一八九二万円につき、昭和四九年三月三〇日付で有効面積減少による同額の補償金債務があるとして、これと右未収金債権とを相殺処理したこと、他方上田建設株式会社では、それまで何ら右未払金を計上していなかったにもかかわらず、昭和四八年四月三〇日付で右二口合計四八九二万円の未払金を計上してこれを未成工事支出金に充当するとともに、同日付でこれを製品売上原価に振り替え、四八年四月期において損金処理したこと、そして、四九年四月期中に株式会社青木建設からの、債務免除あるいは補償金債務との相殺処理をした旨の通知がなされていないとして同期末において右未払金勘定につき何らの処理もしなかったことが認められ、右事実関係によれば、上田建設株式会社としては、前記工事完成により引渡を受けた時点で未払金を計上すべきであるにもかかわらず、昭和四八年四月三〇日に至るまで約三年の間未払金を計上せず、また、株式会社青木建設からの残高確認に対して何らの回答もしなかったのであるから、一貫して右未払金につき支払う意思がなかったものと推認することができる。それにもかかわらず四八年四月期末に未払金を計上したのは一見極めて不自然のようであるが、前記証人大住正次及び同渡辺芳春の各供述部分から明らかなとおり、上田建設株式会社では、総勘定元帳への記入は決算期にまとめてすることになっており、しかも、年度末である毎年四月三〇日までの取引につき、補助簿や伝票類を照合整理したうえでするため元帳への記入が五月あるいは六月中になされることに照らせば、上田建設株式会社においては、株式会社青木建設からの昭和四八年五月一四日付残高確認依頼書を見たうえで、これを奇貨とし、同年四月三〇日に遡って売上原価として計上して損金処理をはかったものと推認することができ、右残高確認の回答をしなかったことによりその支払をする意思がないことを表明したものと解すべきである。そうすると、上田建設株式会社において株式会社青木建設が右債権を放棄することになるであろうと認識していたことも、また、推認することができる。しかも、株式会社青木建設では、昭和四九年三月三〇日付で一八九二万円分につき実質的な債権の放棄をしているのであるから、右経理処理についての株式会社青木建設からの通知がなかったとしても、上田建設株式会社においては、右のとおり支払の意思のないことを表明した四九年四月期において、少なくとも一八九二万円の債務免除益を計上すべきであるといわなければならない。

七  大和不動産株式会社の大塚土地の売上原価について

弁護人は、大和不動産株式会社が公社に対し、昭和四八年九月一〇日に売却した大津市上田上平野字大塚五六三番所在の保安林外一二筆公簿面積合計九二四一坪の土地(以下「大塚土地」という。)の売上原価については、同会社としては以下の事情により後の事業年度において精算修正することを前提として、四九年九月期においては暫定的な額を計上したものであって、決して売上原価を過大に計上したものではない、すなわち、同会社は、その所有する大塚土地及び右土地周辺の土地公簿面積合計一万三〇六一坪を一体として公社に譲渡することとなったものの、公社の資金事情から大塚土地だけを売買契約により、その余は交換の形式によって譲り渡すこととし、さらに交換により同会社が公社から取得すべき土地については同会社の負担で公社が造成工事をなす特約がなされたものであるところ、右売買及び交換契約は一体の契約であるから、売買の対象である大塚土地の売上原価も、右交換に係る土地の造成工事費用等が判明しなければ確定できないため、四九年四月期において公表額の数字を原価として暫定的に計上し、右交換土地を造成工事完了により取得した時点で改めて全体の原価を確定したうえで、大塚土地の売上原価を修正する予定であったものであり、これをもって売上原価の過大計上ということはできないし、右の経理処理につき行為者とされている被告人上田は全くこれにかかわっていない旨主張するので、この点について検討する。

被告人上田茂男の検察官に対する昭和五一年七月一二日付供述調書、前記証人大住正次の供述部分、大住正次の検察官に対する昭和五一年六月一一日付、同月一三日付、同月一四日付(二通)、同月二九日付各供述調書、押収してある大和不動産株式会社契約書綴一綴(前同押号の九六)、大和不動産株式会社第八期(一綴。同号の一二九)及び第九期(一綴。同号の一二四)各総勘定元帳によれば、同会社と公社の間で、昭和四八年九月一〇日、大塚土地の売買契約及び弁護人の主張のとおりの造成工事に関する特約のある土地交換契約がそれぞれ締結され、その際右各契約につき土地売買契約書及び土地交換に関する契約書が各別に作成されたこと、右売買契約書には、大塚土地のうち、草津市南笠町所在の三筆公簿面積合計五二五〇坪については公簿取引とし、その余の公簿面積合計三九九一坪については実測一万二〇〇〇坪とする実測取引とされていること、大塚土地は、右売買契約に基づき遅くとも昭和四九年三月三〇日までに公社に引き渡されたこと、同会社は大塚土地につき、四九年九月期中の同年三月三〇日付で、売上高として契約書記載の売買代金額八億二四五五万円を計上するとともに、その売上原価として六億二七〇〇万円を上げたこと、右六億二七〇〇万円は、実測取引分につき一坪当り四万円に一万二〇〇〇坪を乗じた四億八〇〇〇万円と、経理責任者大住正次も算出経過の記憶のあいまいな公簿取引分一億四七〇〇万円(むしろ端的に一坪当り二万八〇〇〇円に五二五〇坪を乗じて算出したと推認される。)との合算額であることを認めることができ、これらの事実によれば、大塚土地の右売買契約は形式上はもちろん、実質的にも独立した一個の契約であるものということができ、しかも、遅くとも昭和四九年三月三〇日までに買主への引渡を完了しているものであるから、四九年九月期に売上計上すべき取引であり、同会社としても同様に認識していたことは、現に同日付で大塚土地の売却を売上に計上していたことからも明らかであり、そして右のとおり売上計上する以上、右売上に対応する売上原価もまた四九年九月期に計上しなければならないものであるところ、前記合意書面によれば、大塚土地の実際原価は二億三七四五万二四九円であること及び右土地の売却にあたり実測取引とされた公簿面積合計三九九一坪の土地のうち公簿面積合計二六七一坪は、同会社が協和興業株式会社から購入したもので、その代金単価は公簿面積一坪当り四万円であったことが認められ、これらの事実に照ちせば、大和不動産株式会社は大塚土地の売上原価を計上するにあたり、その実際額とかかわりなく、公簿面積一坪当りの単価四万円に売上実測面積一万二〇〇〇坪を乗じて算出した額に前記一億四七〇〇万円を加算した六億二七〇〇万円という何ら事実上の根拠のない数字を掲げたものといわなければならず、したがって、右金額と実際原価との差額三億八九五四万九七五一円は過大計上額であって否認すべきものと解しなければならない。そして、この点につき、被告人上田は、同被告人の右供述調書において、実測一万二〇〇〇坪で売れた土地の原価としては公簿面積一坪当りの単価に実測面積を乗じて算出すべきであると考えている旨述べていて、これによれば、実際原価を上回る過大な原価を計上することを十分に認識していたものと認められ、しかも、大住正次の検察官に対する各供述調書においても公簿上の単価に実測面積を乗じた理由が述べられておらず、右のうち昭和五一年六月一四日付供述調書(検甲一四号証)において、かえって右単価に公簿面積を掛けなければならないことは判っていると述べていることに加えて、前記認定の大和不動産株式会社の経営及び経理状況に照らすと、同被告人が大住に対し右のような過大な売上原価の算出計上を指示したものと推認することができ、したがって、大塚土地の過大原価の計上は、同被告人が法人税ほ脱の意図をもってなした不正な行為といわなければならない。

八  大和不動産株式会社の右京区土地の売上高及び売上原価について

弁護人は、大和不動産株式会社が山口八重に対し、昭和四八年一〇月一一日、同人に対する売買代金債務の一部につき代物弁済に供した、京都市右京区御陵池ノ谷一七、一八及び一八丙所在の各山林地積合計九〇九坪の土地(以下「右京区土地」という。)については、右取引の担当者との連絡が不十分で、しかも代物弁済のため現実の入金がなかったことから経理担当者が不注意で売上計上をしなかったものであって、法人税ほ脱の意図に基づく不正な行為とはいえず、またそのことは、右代物弁済により得た利益が一三六万五〇〇〇円という僅かな額であることからも十分首肯しうる旨主張するので、この点について検討すると、前記証人千足幸司、同渡辺芳春及び同大住正次の各供述部分、大蔵事務官作成の査察官調査書、前記大和不動産株式会社第九期総勘定元帳一綴、渡辺芳春の検察官に対する昭和五一年六月一三日付、同月二九日付各供述調書によれば、大和不動産株式会社は右京区土地について、昭和四八年一〇月一一日付で売上に振り替えるべき仮勘定である未成工事受入金勘定に計上していること、総勘定元帳への記入は渡辺芳春らが担当していたが、決算期において未成工事受入金に計上したうちのどれを売上に振り替えるべきかは記帳者にはわからないため、経理部長大住正次にその明細を知らせ、同人が被告人上田との相談のうえ売上計上すべき取引を渡辺らに指示し、同人らがこれに基づき売上高への振替をしており、未成工事支出金勘定と売上原価との関係においても同様の処理をしていたことが認められ、これらの事実によれば、取引担当者との連絡不十分とか入金のないことを理由にあげる弁護人の主張は、右のとおり未成工事受入金として計上されていることに照らして不合理であるといわなければならず、また同被告人及び大住においては、右京区土地の取引が未成工事受入金として計上されていることを知りながら、ことさらに売上に計上させなかったと認めなければならず、さらに、第六五回公判調書中の証人大住正次の供述部分によれば、売上不計上の理由につき同証人はまことにあいまいな証言に終っていることをも併せ考えれば、右京区土地の売上を計上しなかったことは、法人税ほ脱の意図に基づく不正な売上の繰延であると認定しなければならない。なお、右京区土地の売上高として一五〇〇万円、その売上原価として一三六三万五〇〇〇円であることは前記査察官調査書により明らかである。

九  上田建設株式会社及び大和不動産株式会社の価格変動準備金繰入並びに上田建設株式会社の価格変動準備金戻入について

弁護人は、上田建設株式会社に対し、昭和五一年八月一一日付で長浜税務署長がなした青色申告承認の取消処分は、同会社が四八年四月期の確定申告に際し、向日町土地の売上収益を故意に繰り延べ過少申告したことを理由とし、大和不動産株式会社に対し同日付で同税務署長がなした青色申告承認の取消処分は、同会社が四九年九月期の確定申告に際し、大塚土地の売上原価を故意に過大計上し、右京区土地の売上収益を故意に繰り延べ過少申告したことを理由とするものであるが、弁護人が五、七及び八において主張するとおり、右取消の理由とされた各事実は存在しなかったものであるから、右各取消処分はいずれも理由がない違法無効なものであり、さらに、仮に右各取消処分が有効であるとしても、価格変動準備金の損金繰入はその行為の時には適法であったにもかかわらず、その後に税務署長の裁量処分として青色申告承認の取消処分が行われることにより遡って右行為が犯罪となるものと解するのは、法人税法一五九条一項の解釈を誤り、罪刑法定主義に反するものであるから、いずれにしても右両会社の価格変動準備金繰入は否認されるべきではない旨主張するので、これらの点について検討する。

上田建設株式会社の四八年四月期において、向日町土地につき故意による売上繰延があったこと、大和不動産株式会社の四九年九月期において、大塚土地につき故意による過大な売上原価の計上があったこと及び右京区土地につき故意による売上繰延がなされたことは、前記五、七及び八において判断を示したとおりであって、したがって、右各取消処分が取消事由のない違法無効なものということはできず、さらに、法人の代表者等が、その法人税を免れる目的で、売上の繰延や架空売上原価の計上などによりその帳簿書類に取引の一部を隠ぺいし又は仮装して記載するなどして所得を過少に申告するほ脱行為は、青色申告承認の制度とは根本的に相容れないものであるから、ある事業年度の法人税額についてはほ脱行為をする以上、当該事業年度以降の確定申告にあたり右承認を受けたものとしての税法上の特典を享受する余地はないのであり、しかも、ほ脱行為の結果として後に青色申告の承認を取り消されるであろうことは行為時において当然認識できろことであるから、右のようなほ脱行為があってその後その事業年度の初めに遡ってその承認を取り消された場合における当該事業年度以降のほ脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した法人税法所定の法人税額から申告に係る法人税額を差し引いた額であると解すべきところ、前記五、七及び八で認定のとおり、上田建設株式会社及び大和不動産株式会社の代表者である被告人上田は、右両会社の業務に関し不正の行為をなして法人税のほ脱をなしたものであり、また、長浜税務署長作成の証明書二通、上田建設株式会社及び大和不動産株式会社の各法人税確定申告書謄本によれば、昭和五一年八月一一日付で同税務署長から右両会社あて、上田建設株式会社につき四八年四月期以後、大和不動産株式会社については四九年九月期以後の青色申告承認の各取消をする旨通知がなされたこと及び上田建設株式会社は四九年四月期において価格変動準備金戻入二億五〇〇〇万円、同繰入二億六八七三万円、大和不動産株式会社は同年九月期において同繰入一億三五〇〇万円を各計上していることが認められ、以上によれば、上田建設株式会社が四八年四月期において価格変動準備金二億五〇〇〇万円を計上したこととともに、同会社の四九年四月期及び大和不動産株式会社の同年九月期における右各価格変動準備金繰入の計上行為は、いずれも不正行為として否認すべきであり、したがって、上田建設株式会社については四九年四月期に計上した価格変動準備金戻入二億五〇〇〇万円をも減算すべきであるといわなければならない。

一〇  公訴棄却の申立について

弁護人は、被告人上田に対する法人税法、会社臨時特別税法各違反の各公訴は、検察官が、被告人上田を不当に差別しようとする不法な意図のもとに、捜査権限を濫用した違法な捜査に基づき、何ら嫌疑がないにもかかわらず、公訴権を濫用して提起したものであるから、右各公訴を棄却すべきであると主張するので、以下この点につき判断する。

1  弁護人は、検察官が捜査権限を濫用してなした違法な捜査として、(1)国税査察官がなした臨検捜索差押の際、検察官及び検察事務官多数名がその現場に臨み、国税査察官を指揮しつつ、自らも関係個所を捜索し差押すべき物件を選別するなどの強制処分をなしたこと、(2)検察官が、その請求に係る捜索差押許可状を執行する際、帯同した国税査察官多数名をしてほしいままに強制処分をなさしめたこと、(3)検察官は、上田建設株式会社及び大和不動産株式会社の役員、従業員である大住正次、千足幸司及び渡辺芳春の勾留請求にあたり、免れた法人税額の摘示がなく、単に推定ほ脱額と称した推定所得額が記されているにすぎない、不明不特定の被疑事実を記載した勾留請求書により右三名の勾留を得たこと、(4)勾留中の右三名に対する検察官の取調にあたり、検察官は、終始国税査察官を同席させて強制取調をなし自白の強要をしたこと、の諸点を指摘するので、これらにつき順次検討すると、

まず、(1)の点については、第六八回公判調書中証人南暹の供述部分、第七九回公判調書中の証人指熊悟の供述部分、第六三回ないし第六七回公判調書中の証人大住正次の供述部分によれば、本件については、大阪国税局査察部及び大津地方検察庁において、それぞれの収集証拠に基づき犯則嫌疑事件及び被疑事件として立件したうえ、専ら証拠物等の読み切り及び税額の計算を同国税局が、被疑者の身柄拘束や取調を同検察庁がそれぞれ担当する合同捜査を進めることとなり、昭和五一年六月九日、同国税局は、予め発付を得た上田建設株式会社京都ビル外に対する臨検捜索差押許可状に基づきこれを執行し、同検察庁もまた同国税局と呼応して同日関係者を逮捕するため検察官あるいは検察事務官二、三名を同会社京都ビルに派遣したことはあるが、右検察官らが国税査察官を指揮するとか、自ら捜索差押をするとかは一切しておらず、所期のとおり同日前記大住正次ら三名を逮捕したこと(もっとも、大住は同所と異なる場所で逮捕された。)を認めることができ、これらの事実によれば、検察官らが国税査察官による臨検捜索差押の現場に臨んでいたことは弁護人の主張のとおりであるが、検察官らが右臨検捜索差押に仮託して国税査察官を指揮し、自ら捜索差押等の強制処分をなした事実はなく、検察官らの現場への臨場はむしろ関係者の逮捕のためであったと推認できるのであるから、この点に関する検察官らの捜査活動には何ら違法はないといわなければならない。

次に、(2)の点については、弁護人の主張は検察官が昭和五一年六月一三日になした捜索差押を問題とするものと思料されるが、検察官作成の同日付捜索差押調書(検丙三一号証)によれば、右捜索差押は、すでに別件で差し押えて大津地方検察庁に領置してあった右両会社関係の証拠物のうち本件に関する物件を、予め発付を得た捜索差押許可状に基づき、二重に差押するため執行されたものであり、右執行にあたり検察官は、検察事務官七名のほか国税査察官七名にこれを補助させたことを認めることができ、脱税事件のように差押物件の選別等に専門的知識を要する場合、国税査察官などの専門知識を有する者を補助者として捜索差押に関与させることは、これを効率よく実施するために必要であり、他方それ自体が捜索差押を受ける者の権利を特に侵害することはなく、かえって捜索時間を短縮し、過剰な差押を避け得るなどその権利保護を厚くする面もあることにかんがみれば、検察官らの執行する捜索差押の際、専門的知識をもつ者にその補助をさせることは違法ではないと解される。したがって、本件右捜索差押を違法ということはできない。

また、(3)の点については、逮捕状、勾留状及びその請求書に記載すべき被疑事実の程度については、犯罪構成要件該当事実につきできるだけ特定して記載すべきではあるが、いまだ十分な資料が得られていない段階であるため、犯行の内容等に確定できない部分があるとしても、犯罪の特定に欠けるところがなければ、これをもって足りると解すべきところ、本件勾留請求書記載の被疑事実としては、弁護人の前記主張自体からして、脱税にかかる事業年度や、不正な行為、法人税を免れた事実など犯罪を特定するに足りる事項の記載には欠けるところがなく、ただ免れた法人税額の記載がなく、また、ほ脱所得額の記載も単に推定額にとどまるというのであるから、被疑者の勾留段階にあっては、ほ脱所得額及びこれに基づく法人税額に不確定の部分があるとしても、前記のとおり犯罪の特定に欠けるところはないのである。したがって、これをもって違法な勾留請求ということはできない。

さらに、(4)の点については、前記証人大住正次、同南暹及び同指熊悟の各供述部分によれば、勾留中の大住、千足及び渡辺に対する検察官の取調の際、各人に対し国税査察官各一名が、毎回同席していたが、右同席は検察官の同意に基づくものであり、上田建設株式会社及び大和不動産株式会社の経理内容に関する担当者の供述を聴取する目的によるものであったこと、国税査察官南暹は大住の取調に同席し、初めに自ら国税査察官である旨身分を告げ、検察官の取調中は専ら傍聴して一部メモをとったり、検察官から発問を促されれば質問をすることもあったにすぎないことを認めることができ、以上の事実に前記認定のとおり本件では大阪国税局査察部と大津地方検察庁との合同捜査が行われており、被疑者の取調は同検察庁が担当していたことを併せ考えると、同席した国税査察官が補充的に発問したことがあったとしても、右被疑者三名に対する取調は実質的に検察官による取調というべきであり、検察官はその取調にあたり遺漏なきよう、税法の専門知識を有する国税査察官の傍聴を許したものと推認され、そして、検察官の取調の際、このように専門知識を有する国税査察官などの同席を認めることは、法の絶対的に禁ずるところではなく、被疑者の供述を強要するおそれのない場合には許されるものと解すべきであり、本件においては、被疑者の取調にあたった司法警察職員が当該被疑者の検察官による取調に立ち会う場合と異なり、何ら右被疑者三名の供述を強要するおそれがあるとはいえず、また、前記証人大住正次、同千足幸司及び同渡辺芳春の各供述部分によれば、取調検察官が自白を強要したことをうかがわせる事情はないことが認められるのであるから、この点に関する検察官の捜査活動にも違法なところはないといわなければならない。

以上のとおり、弁護人が検察官の捜査権限の濫用による違法な捜査であると主張する諸点は、いずれも理由がなく、本件捜査に何ら違法はないといわなければならない。

2  次に、弁護人は、法人税法、会社臨時特別税法各違反の公訴事実に記載されているような犯罪事実は何ら存在しなかったのであるから、本件は嫌疑なき起訴である旨主張するが、以上に判断を示したとおり、犯罪事実の存在が優に認定できるのであって、本件は嫌疑なき起訴ではないものということができる。

3  弁護人は、検察官が、被告人上田を不当に差別しようとする不法な意図のもとに、公訴権を濫用して法人税法、会社臨時特別税法各違反の公訴を提起した旨主張するが、右1及び2に判断したとおり、検察官においては何ら違法な捜査活動にでることなく、適法な捜査手続により収集した証拠に基づき、十分に犯罪の嫌疑ある本件を起訴したものであり、しかも、前記のとおりそのほ脱税額の極めて多大なこと等からみて起訴相当の事案というべきであって、これらの事情からすれば、検察官には何ら同被告人を不当に差別する意図がなかったものと推認することができ、また、本件起訴につき公訴権の濫用はなかったものということができる。そして、他に検察官の不法な意図や公訴権の濫用をうかがわせる事情は何ら存在しない。

よって、弁護人の公訴棄却の主張はその理由がなく、採用することができない。

(確定裁判)

被告人上田茂男は、昭和五二年一二月一三日、大津地方裁判所で贈賄罪により懲役八月(三年間執行猶予)に処せられ、右裁判は昭和五三年一一月一〇日確定したものであって、この事実は検察事務官作成の昭和五八年三月八日付前科調書によって認める。

(法令の適用)

被告人井上良平の判示第一の一ないし四の各所為は、いずれも刑法六〇条、二四七条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当し、判示第二の所為は、行為時においては昭和五五年法律第三〇号による改正前の刑法一九七条一項後段に、裁判時においては右改正後の同法一九七条一項後段に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから同法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第一の一ないし四の各罪について各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の四の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役三年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から五年間右の刑の執行を猶予し、同被告人が判示第二の犯行により収受した賄賂は没収することができないので、同法一九七条の五後段によりその価額金三〇〇万円を同被告人から追徴し、訴訟費用のうち別表訴訟費用負担表第一及び第三記載の分は、刑事訴訟法一八一条一項本文により右各表記載のとおりこれを同被告人に負担させることとする。

被告人上田茂男の判示第一の一ないし四の各所為は、いずれも刑法六五条一項、六〇条、二四七条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当し、判示第三の一及び第四の一の各所為は、いずれも行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては右改正後の同法一五九条一項に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第三の二及び第四の二の各所為は、いずれも会社臨時特別税法二二条一項に該当するところ、以上の各罪と前記確定裁判のあった罪とは刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない右判示各罪についてさらに処断することとし、判示第三の一及び二の各罪は、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い判示第三の一の罪の刑で処断し、判示第四の一及び二の各罪も、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い判示第四の一の罪の刑で処断し、以上のいずれの罪についても各所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第一の四の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役三年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から五年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用のうち別表訴訟費用負担表第二及び第三記載の分は、刑事訴訟法一八一条一項本文により右各表記載のとおりこれを同被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

被告人井上の背任の各犯行は、同被告人が滋賀県民の信任に応えるべき公社の副理事長という公職にありながら、被告人上田と滋賀県知事野崎欣一郎との関係などを考慮した自己の保身上の思惑などの動機から、判示のとおりその任務に背いて同県民の信頼を裏切り、一民間業者である被告人上田と癒着して公社の土地取得事業を同被告人のほしいままな営利活動の手段に供し、その結果、総額約一八六億五八七七万五〇〇円相当というばく大な損害を公社に加えたものであり、収賄の犯行も公務の廉直性に対する信頼を害したものであって、その刑責は重大であるといわなければならない。

しかし、背任により公社が取得した各土地自体は必ずしも開発するのに不適当な土地であるということはできないこと、右犯行後、公社と背任に係る各土地の売主等との間で和解が成立し、公社が右各土地を買い受けた各契約が合意解除され、真野谷口及び竜王岡屋の各土地については正常な取引価格で公社が新たに買い受けたうえ、右全土地について公社に対しその既払代金がこれに付されるべき利息分を含めて返還されることとして精算が行われ、公社の損害はほとんどなきに帰したこと、被告人井上としては、背任の各犯行について、公社の業務の運営を監督すべき立場にある滋賀県知事の野崎欣一郎が被告人上田の要求に同調したことから、理事長河内とともにこれに従ったものであって、県知事と公社職員との組織ぐるみの犯行ということができ、ひとり被告人井上のみが責められるべきではないのであるが、最終的には、これにかかわった県及び公社の職員のうち被告人井上のみが刑事責任を問われていること、同被告人は、本件各犯行を犯すまでは何らの前科もなく、一五歳で同県職員となって以来長年にわたり公務員として勤勉に務めてきたこと、本件各犯行の起訴以来一〇年を優に超える間社会的な非難のもとに過ごしてきており、すでに相当な社会的な制裁を受けていること、高令であることなどの事情をも考慮すると、その刑の執行を猶予することが相当であると認められるので、主文のとおり量刑した。

被告人上田の背任の各犯行は、自己の利を図るため、懇意な間柄にある滋賀県知事野崎欣一郎を同席させるなど同知事の協力を得ながら被告人井上はじめ公社職員らに対し不当に高い価格で背任に係る各土地を公社が買い取るように執ように要求し、判示のとおり、これに応じた同被告人らをしてその任務に違背させて自己の要求どおりの価格で右各土地を公社に取得させ、その結果、ばく大な損害を公社に加えたものであり、法人税法違反、会社臨時特別税法違反の罪も多額の租税を免れたものであって、その刑責は重大であるといわなければならない。

しかし、背任に係る各土地の利用価値や背任による公社の損害の回復につき被告人井上と同様酌量すべき事情があること、被告人上田は、幼時より苦労を重ねて事業に成功し、前記各会社等を経営してきたが、本件各犯行の起訴以来一〇年を優に超える間社会的な非難のもとに過ごしてきており、その間にすべての職を辞し、すでに相当な社会的な制裁を受けているものといいうること、実刑の前科がないこと、高令で糖尿病等の持病に苦しんでいることなどの事情をも考慮すると、その刑の執行を猶予することが相当であると認められるので、主文のとおり量刑した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 梶田英雄 裁判官 齋藤光世 裁判官楠井敏郎は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 梶田英雄)

別紙1 修正損益計算書

上田建設株式会社

自 昭和48年5月1日

至 昭和49年4月30日

〈省略〉

別紙2(その1) 税額計算書

上田建設株式会社

自 昭和48年5月1日

至 昭和49年4月30日

Ⅰ 法人税

〈省略〉

Ⅱ 会社臨時特別税

〈省略〉

別紙2(その2) 土地譲渡税額の計算

上田建設株式会社

〈省略〉

譲渡した土地の帳簿価額の累計額の計算

〈省略〉

別紙2(その3) 土地譲渡税額の計算

上田建設株式会社

〈省略〉

譲渡した土地の帳簿価額の累計額の計算

〈省略〉

別紙3 修正損益計算書

大和不動産株式会社

自 昭和48年10月1日

至 昭和49年9月30日

〈省略〉

別紙4(その1) 税額計算書

大和不動産株式会社

自 昭和48年10月1日

至 昭和49年9月30日

Ⅰ 法人税

〈省略〉

Ⅱ 会社臨時特別税

〈省略〉

(注)〈15〉の※の額は、〈13〉の額に、申告に係る課税留保金額1,496,000円に対する税額149,600円を加えたものである。

別紙4(その2) 土地譲渡税額の計算

大和不動産株式会社

〈省略〉

譲渡した土地の帳簿価額の累計額の計算

〈省略〉

別紙5 南庄家田土地経費明細

〈省略〉

(注)〈1〉の坪数は、48.3.20付確認書(昭和52年押75号の114)記載の坪数144.191坪に比べ3坪少ないが、合意書面と同確認書を対比すると3筆につき各1坪同確認書の坪数が過大に表示されていることが。明らかであるから、原価計算に当っては仕入時の合意書面の坪数を基準とした。

別表 訴訟費用負担表第一 (被告人井上良平負担分)

〈省略〉

別表 訴訟費用負担表第二 (被告人上田茂男負担分)

〈省略〉

別表 訴訟費用負担表第三 (被告人両名負担分)

〈省略〉

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